TANNYMOTORS

一度人を食らった熊は、その味が忘れられず再び人里に降りてくるという。つまりバイクの日記です。

推しの力でページをめくる

最寄りの本屋がこの春に潰れてしまい、本を買うには1ブロック東に行かなければならなくなった。実に面倒くさい。しかし本を紙で所有したい主義者としては電子書籍お茶を濁すのも、通販を使って本屋での未知との遭遇を逃すのも嫌なので、しぶしぶ新しい本屋に通うことにした。
新しい本屋はビジネス街にあり、店頭の平積みは半分がビジネス書だった。棚には手前からビジネス書、資格本、参考書の順で並び、文芸や漫画は店の奥に追いやられていて、最深部には趣味の雑誌が置かれていた。面積は新しい店の方が広いと思う。でも購買層が全然違うからカゴにポンポン漫画を放り込んでいると、なんだか場違いなことをしているような気がしてくる。簿記2級を放り出して悪かったよ。気が向いたらまた勉強するから勘弁してくれよ。
眉月じゅんの『九龍ジェネリックロマンス』が面白くて「うひょー」だの「ヒャー」だの言いながら既刊の4冊を一気に読んだ。鯨井さんは大変可愛いし、飯はどれも美味そうである。
ただ、今まで通っていた本屋だったら手書きのポップ付きで推されていただろうなと考えて寂しくなった。あの店の漫画担当の店員さんは別の店に異動したのだろうか。背が高くて細身でゴツゴツしたブーツを履いていた漫画コーナーの店員さん。あの人が推していた漫画はどれも面白くて、一度だけ「おすすめしてた漫画心に刺さりましたよー」と言ったことがある。店員さん推しを理由にあの店に通っていたのは否定できない。だからこそ潰れた時は悲しみもひとしおであったのだ。

推しも本屋もなくなる時代なんてろくでもねえや。

お出かけの日の朝マック

小さい頃、家族と朝から出かけるときの朝食はいつも朝マックだった。朝にしか食べられないハッシュドポテトが大好きで、あの脂っこいポテトせんべいを食べると今日は朝から丸一日遊べるのだと実感することができた。

その思い出は20年以上経った今でも私の食文化にはっきりと残っていて、早朝からツーリングにでかけるときは、できるだけ朝マックを食べてから出発するようにしている。お出かけに対するワクワクがまさか朝マックから湧いていたとは。

明日はバイクを借りてお出かけだ。マックグリドルハッシュドポテトとオレンジジュースをお腹に入れて、初めて乗るバイクを思いっきり楽しむのだ。

胸焼けしないといいな。それに事故だって勘弁だ。大人になるといろんなことに気を取られてしまう。ワクワクに対するノイズが増える。でもワクワクのほうが大きければきっとノイズなんて気にならないだろう。子供だった頃の私よ、大人でもワクワクするんだぞ。しかも財布にはお札が入っているんだ。どうだすごいだろう。

5月突入と同時にそうめんを解禁。夏バテの日は近い。

「吉祥寺に一方的に憧れてる人って多いよね」と人は言うけれど、本当は吉祥寺に憧れてる人なんてもうどこにもいない。イメージの中の人がイメージする街、夢の中で見る夢、それが吉祥寺である。

最後に東京に行ったのがAC部のイベントのときだから、およそ2年ぐらい行っていないことになる。そろそろ神田で蕎麦を食べたり、西荻窪で立ち飲みをしたり、上野で美術館を巡ったりしたい。そして街頭の大型モニターにでかでかと映し出される小池百合子の顔に怯えて立ちすくんだりしたい。

東京に行きたい行きたいと言いつつやっていた転職活動も結局近所で終わってしまい、もう東京で暮らすことは叶わないんだろうなと心のどこかで諦めている自分も存在している。しかしだからこそ吉祥寺のようなデタラメ東京を作り上げ、それに向かってあーだこーだ言うことに力を尽くしてゆかねばならない。ようは決めつけと偏見に基づいて野次を飛ばしてカタルシスとするのだ。あまりに非生産的、あまりに無益、しかし楽しい。

ゴールデンウィークもそんな非生産的で無益な日々であったので、これもまた虚像なのかもしれない。だって疲れ取れてないし、休みのはずなのに仕事してるし、仕事しながらブログ書いてるし、ブログって嘘だし。じゃあゴールデンウィークも嘘じゃねえか。緊急事態宣言も伸びたらどうせ休業することになるだろうし。そうするとまた虚像が膨らんでいく。現実って何さ。

映画『花束みたいな恋をした』天竺鼠のライブに行けなかったことを誇るな、恥じろ

「てめえふざけんじゃねえぞ」っていう気持ちで見る恋愛映画

『花束みたいな恋をした』を見た。サブカル好きな有村架純菅田将暉が出会ってイチャイチャしてすれ違って別れるまでを描いた恋愛映画だったが、「見た」と言うより終始スクリーンを睨みつける感じだった。「なんか気に入らねえ気持ち悪さだなー」と思いながら見始めて、中盤以降は「そりゃそうだてめえふざけんじゃねえぞ」と怒りながら過ごしていた。

テレビ屋さんはコンテンツづくりのプロフェッショナルなので、『サブカルカップル(ただし大都市圏の文化的インフラ周辺にのみ存在する)の恋愛模様を描いてみたらこんなにエモい感じなるんですよ』という映画を、「薄く広く流行りそうな感じ」かつ「文化庁から助成金まで貰って採算性も確保しつつ」作ることができるんだなと思った。

おまけに10年代後半の文芸やら音楽やらいわゆるサブカルを随所にぶっこんでくるせいで「こいつらの恋愛アイテムはお前らもご存知のものですよね~懐かしいですよね~」という意図が滲みて出てきて劇場内はずぶ濡れであった。軽率にヴェイパーウェイヴとか小川洋子とか入れてくるんじゃねえよ。こいつらを映画の要素や属性として扱わないでくれ、こいつらはアイテムじゃねえんだ。今までも今でも僕は自分の一部として愛してるんだよ。

一度鼻についた違和感を拭おうとするたびに鼻の頭が赤く腫れて、最後にはもげるかと思った。そういう映画だった。

映画のあらすじ

大学時代に出会って趣味が合うから仲良しになって、授業サボってセックスしまくる日々楽しんで、片方は就活して片方は夢を追って、でもしばらくしたらそれぞれが逆の立場になって、それでお互いの生き方が変わったからすれ違うようになって、どうしようもないから結局別れましたよ。まあその後一瞬再会したんですけどね。へへっ。

ストレスへの対処さえ間違えなけりゃ別れることはなかったんですよ

恋愛したまま幸せになりたかったけど、結局そうなれなかった二人の物語がこの映画である。菅田将暉が就職して仕事に飲み込まれていく一方で有村架純は自分のやりたいことで生きていきたいと思い始め、それがきっかけで亀裂が生まれることになる。

そうなる前にお互いのストレスチェックやらキャリアプラン作りを一緒にやっていれば破局には至らんやろ、というのが一番の感想である。サブカルが懐かしいとかそのへんはどうでも良い。実在のコンテンツを登場させてリアリティを出そうとしてるならこっちはメンタルヘルスの面からリアリティを語るまでである。

「取引先に『ツバ吐かれて死ね』って怒鳴られても平気だよ!だって仕事だから!」とは菅田将暉の弁である。それで有村架純と喧嘩するわけだけど、はたから見てたらそんな状態で仕事して潰れるのは目に見えている。「そんな人『ピクニック』を読んでもなんにも思わないんだよ!」と有村架純は返すが、学生時代の就活のときにかけられた言葉を社会人になってからそのまま返しても伝わり方は違うって分かるだろ。もし『今このセリフ出してくるところエモいやろ?』なんて考えた奴がいるならそいつは時空の隙間に吸い込まれてしまえ。

一緒に暮らしていて相手の様子がおかしいと思うなら病院に連れて行け。健康診断を受けろ。メンタルヘルスも気にかけろ。一生添い遂げるなら将来の話をしろ『現状維持が夢でーす』なんて公言するなら方法も話せ、夢だけ語るな。

結局菅田将暉も自分の世界でグズグズして腐って潰れたし、その間に有村架純は職場の同僚と男漁りに行ったりオダギリジョーと浮気してんだよ。おいよく見ればカスカップルやないか。

そんなお花畑脳だから天竺鼠のライブに行きそこねたり、行けなかった同士で出会ったりするんだよ。『これが二人が出会うチケットですね』なんて惚気けてんじゃねえ。まずお前たちの判断ミスで天竺鼠のライブに行けず空席を作ってしまったことを恥じろ。そんな軽い気持ちでライブのチケットを取るのか、そして簡単に諦めるのかと最初はわけが分からなかった。首都圏のように文化資本が潤沢なところならそんな愚行もよくあることなのかもしれないが、ライブや芝居のチケットをスクラップ保存する人間としては、チケットを無駄にする事態にどうして陥るのかまったく理解できなかった。

そうして今夜もライブに行けずにトイレットペーパーを抱えた二人が出会ってセックスするんだろうな。えらい楽しい暮らししてはりますなあ。

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勝ち点が3なら引き分けは何点ですか?ツモ和了だと1点増えるんですか?

決定力に欠けることで困るのはスポーツ選手だけではない。僕も日々の食生活で決定力を欠いているのでなかなか勝ち点3の飯にありつくことができない。

休日だった今日は昼前まで寝て、バイクの手入れを済ませ遅めの昼食を取ろうとしていた。最初は「今日の昼飯は天一だな」と心に決めたが道中で「なんか違うな」と思い進路を変え、「たまにはマクドナルドも良かろう」と四条大宮に向かっても店の前でたむろするUber配達員にうんざりしてそのまま通り過ぎ、行くあてもないまま原付きでぶらぶらした挙げ句西院でたこ焼きを買って自宅で食べる事になってしまった。

あの店のたこ焼きは基本的にふにゃふにゃしているけれどソースやマヨネーズを思いっきりかけてくれるので食べてみればそれなりに満足感はある。ただ選択肢になかったものを食べてもいまいち盛り上がりに欠ける。食べながら「なんでたこ焼き食べてんだろうな」とさえ思ってしまう。血眼になってたこ焼き食うやつがいてもそれはそれで怖いけど。

欲がないと何をしても楽しくない。普段の食事はカロリーメイトか無作為に選んだ菓子パンだし、ヤンジャンの表紙に誰が載っていても気にならないし、寝たきりだったときはいくら寝ても休んだ気にならなかった。煽情的なものごとが僕の身の回りにないだけなのか、それとも僕の感受性がすり減ってしまったのか。モナリザの手で勃起する吉良吉影のような心を持ちたいものである。

ここはひとつウマ娘で一発逆転を狙うしかない。みんな一生懸命走ってるし応援したくなるに違いない。どうか煽って貰えますように。そして勝ち点につないでいこう。解説のセルジオ越後さんこのプレイどうご覧になりますか?

鳥貴族のカウンターにはコンセントが付いてるから実質ドトールと同じ

近所の鳥貴族によく一人で行っている。黙食がどうこう言われるよりも以前から、一人で酒を飲みたいときに行く店はもっぱら鳥貴族である。個人店に行くとついつい店の人や他のお客さんと喋ってしまうし、黙っていてもお互い意識してしまうので一人で飲むにはチェーン店がちょうどいい。喋ったことないのに意識しちゃって記憶に残ってる同級生っているよね。中学高校の記憶なんてないけど。

ただ僕が行く鳥貴族の焼き鳥は基本的に全部焦げている。飲み友達がそこに行ったときにはソーセージさえ焦げていたらしい。大学生のバーベキューでも焦がさないような食材をどうやったら焦がすまで焼けるのだろう。そういう訳でその鳥貴族で飲む場合は基本的に焼き以外の串物かサイドメニューしか頼まないことにしている。

昨日、ほんの気の迷いからぼんじりとねぎま(店では貴族焼と呼ぶ、革命か?)を頼んでしまった。酒による判断力の低下と、土日なら焼き場も慣れたスタッフが入っているかもしれないという淡い期待がそうさせてしまったのだろう。

ぼんじりは揚げてるから大きな問題はなかった。しかしねぎまの方はやはりカッスカスに焦げていた。出されたものは残さず食べる主義なので一応食べてみたが、すぐに「全部食べたら具合悪くなるぞ」と直感が知らせてきた。そして自分の浅はかさと胃もたれに辟易としながら「貴族様ごめんなさい」と念じて串を置いた。やはり庶民は貴族に勝てやしないんだ。

しばらくすると店員さんが空いたグラスと皿を下げに来た。「ここのお皿たちは下げていいですよ」という風に置いた食器たちの中に手つかずの焼き鳥があるのはどう見ても怪しかったようで「こちらどうかしましたか?」と聞かれてしまった。酒でぼんやりしていたせいで「これ...焦げてて…ごめんなさい…」としか返事ができなかった。小学生が給食を残すときの言い訳みたいだった。さすがに泣いたりはしなかったが、なんだか猛烈に心細くなってしまった。一人で飲みに来てるくせに心細くなるんじゃねえ。

さすがに「食うまで帰るな」と叱られるようなことはなかった。むしろすぐに謝られて「作り直しましょうか?」とまで言わせてしまった。年下の店員さんにそんなこと言わせたのが恥ずかしくて、こちらも謝りながら遠慮したが「また焦げたの出すんじゃねえの?」と少しだけ期待してしまった。己の性根の歪みっぷりがこんなところで現れるとは。

帰り際に社員っぽい人からも「焦げてたようで...すみませんでした!」と謝られた。あの定員さんちゃんと上に報告しててえらい。それに悪いのは地雷原に突っ込んでいった自分の方だ。「お店、忙しいですもんね」と訳の分からないフォローをして店を出た。誰も悪くないのに、謝られると悲しいものだ。

「焼き鳥メインで売ってるのにそれが焦げてるってどういうことだ」と思ったのは、その晩ベッドに入ってからだった。ハイボールで炭化した鶏肉はハイボールでも誤魔化しきれんのだぞ。でもきっとまた行くだろう。なんたって鳥貴族にはコンセントとwifiがあるからな。

バイクの価値を積載量で決めるような野暮な真似をしちゃいけない

普通二輪の免許を取り、早速レンタルバイクを借りていつもの山道を走りに行った。借りたのはホンダのVTR250。高校生の時に猛烈に憧れて、それから10年以上経ってようやく乗ることができた。

250ccのバイクだから400ccの教習車より小さく感じるのは当たり前だけど、足もベタベタにつくし少し窮屈な気さえしてくる。でもそんなことはどうでもいい。赤色のフレームとすっきりした車体、速度計とタコメーターだけのシンプルなハンドル周り。ハンドルを回せばグオーンと音を立ててぐいぐい前に進む力強さ。いつものスーパーカブにはない「バイク」っぽさは震えるほど楽しい。免許を取って良かった。最初に憧れのバイクに乗れて良かった。

京都市内から1時間ほど走り美山の道の駅で休憩を取った。京都のバイク乗りにとってこの道は定番ルートで、北へ走れば日本海側に出られるし、西の兵庫方面にも迎えるし、山道をグルグル走ってワインディングを楽しむこともできる。道の駅としての機能はシンプルなので、とりあえず美山牛乳とソフトクリームを食べるぐらいしかやることはない。

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カブでもよく来る場所だけれど、「バイク」で走るとここまで楽しいとは思いもしなかった。ここで駄弁ってるライダーはいつもこんな楽しい思いをしていたのか。「おい黙ってるなんてひどいじゃないか」と一方的に恨みながらソフトクリームを食べた。

そして食べながら気が付いたが、このバイクには燃料計がないのでガソリンの残量が分からない。とりあえずタンクの中を覗いてみたり車体を揺らしてみたりして残量を確かめる。どうやらタンクの容量はカブの倍で、燃費はカブの半分らしいので、普段通りの給油ペースで良いのだろう。ガソリンが10リットルも入るなんてすげえ。

それから福井の小浜に抜け、港で寿司を食べ、お土産を買ってまた美山に戻ってきた。行きはソフトクリームを食べたので、帰りは牛乳を飲みながらバイクを眺めた。他のバイクや借りたVTRを眺めながら「そりゃあこれだけ楽しかったら飛ばしすぎて死ぬ奴もいるよな」と勝手に納得して、ゆっくり京都市内に戻ってバイクを店に返した。店に預けていたカブで自宅に向かいながら「やっぱり中型は楽しいな」と思い出に浸る一方で「毎日乗るならやっぱりカブだな」と思うようになっていた。都合のいいやつめ。

2台目のバイクを買っても置く場所がないし、しばらくはレンタルでとっかえひっかえ乗ってみるつもりだけれど、どうやら年間8万円ぐらいで24回レンタルできるサブスクみたいなサービスもあるらしい。なんだそりゃ。都合のいいサービスめ。