エウレカが10年以上前の作品なのはさすがに受け入れたよ

交響詩篇エウレカセブンというアニメがありまして、端的に言えばボーイミーツガールなロボットアニメなんですけれどもこれがテレビ版だけできっちり50話あるもんですから一気に見るにはそれなりに骨が折れるわけです。

ただ来週から劇場版の最終章が始まるもんですから「いよいよ見るかあ」と決意して4日ほどかけて見通したんですよ。TV版の50話とハイエボリューション2話を。

やっぱり良いアニメでした。エウレカは可愛いしアネモネとドミニクの2人も大好きになったし音楽もみんな素敵。

けれど唯一気に入らんなあと思う所がありまして、ホランドというゲッコーステイトなる組織のリーダーがいるんですが、こいつが主人公のレントンをやたらめったらぶん殴るんですね。ブライトさんだって1回程度しか殴ったことないのに。

いい年した大人が14歳に何してんだと、理性はないのかと、怒るならまず先に説明をせいと。360度評価だったらボロカスに叩かれそうなリーダーの姿は大人が見るとなかなかに辛いですよ。

アニメを見るときに現実のノイズが入り込んでくるのは僕が年を取ったからかそれとも引き算がへたくそなのか、あるいはその両方なのかも知れませんけれど、そういう見方をするようになったのはなかなかに残念なことです。マフティーの夢物語を見た時はそんな嫌悪感もなかったのに不思議ですね。

でも最後は無事に「おい~二人とも幸せになってくれよ~」とオタクムーブかませたから良いんです。それに来週はその答え合わせに行ける訳ですから。

ガルパンも無事に完結してくれるかなあ。

上書きの旅の終わり

前の仕事では出張で色々なところを訪れた。その仕事を辞めたときには西日本のほとんどを訪れていた。しかし嫌になってその仕事を辞めてしまったものだから、仕事で訪れた街のすべてが嫌な思い出と結びついた土地になっていた。

転職してしばらく経ってから、嫌な思い出を消すためにかつて訪れた土地を回るようなった。特にバイクを買ってからは地方も随分訪れやすくなり、嫌な思い出を一つひとつ旅の思い出で上書きしていった。

11月に取った休暇で、高知に行くことにした。四国は前年も訪れたけれど、その時は愛媛や香川などの瀬戸内側を中心に回っていて、高知だけ訪れることができずにいた。

愛媛から四国山脈を超えて足摺岬室戸岬を走ったあと、高知市内を散策することにした。バイクを預けとりあえずひろめ市場でなにか食べようと歩いていると、ひろめ市場の斜向かいが高知追手前高校であることに気がついた。

アニメ映画の「海がきこえる」で主人公たちが通っていた高校がこの高知追手前高校だった。ジブリ映画なのに全くテレビで放送されないけれど、そういえば僕はこの作品が大好きだった。原作小説は10年前に1度だけ読んだけど、続編はまだ読めていなかった。

高校の前には大きな図書館があったので蔵書を検索してみるとその続編は難なく見つかった。旅行先の図書館に籠もるのもおかしな話だと思ったけれど、一度読み始めたらそんなことはどうでも良くなってしまった。なんたって10年越しの続編だから。

学園モノや青春モノなんて大した青春時代もなかった自分にはピンとこないものだけれど、この「海がきこえる」だけは何故か夢中で読んでしまった。90年代が舞台だから分からないところもあるのに、それ以上に分かってしまうところが沢山ある。

読み終えた満足感にひたりながら図書館を出ると夕方になっていた。高校を眺めながら改めてひろめ市場の方へ向かうと、高校の隣にある女子校からバンドの練習が聞こえてきた。そこそこ安定したベースとシンプルなドラム、うっすら聞こえるボーカルとギター、音漏れ程度ではどんな曲かまではわからなかったのに、ぼんやり聞いているとなんだか泣きたくなってきた。

復讐のような旅を繰り返して、昔に読みそこねた本を気にして、ありもしない高校生活のことを考えて、そうやって過去にしがみついて生きているのに、目の前の校舎のどこかでは10代の学生が友達とバンドの練習をしているのだ。この状況で自分がむちゃくちゃダサい大人だとさすがに自分でも理解できた。いつまでそうやって昔の事ばかり気にかけているのか。いよいよその問いから逃げられないところやってきたような気がした。

だからこの訳のわからん旅も、懐古趣味も、思い出話もここでお終いにする。思い出の上書きもちょうど高知ですべて終わったし、そんなことに3年もかけていればそれなりに満足もできた。何であれいつか終わりはやってくる。今回はそれが2021年11月の高知の夕方だったのだ。

僕は十分に満足した。だからこの旅を終えて、家に帰ることにした。

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映画『サマーフィルムにのって』演劇的な映画って分かりやすくて楽しいね

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imaiさんが「サマーフィルムにのって」を褒めていたので見に行ってきた。下調べを一切せずに映画を見るのはいつだってドキドキする。しかもこいつは高校青春物だ。下手すると心に傷を負う恐れだってある。でもimaiさんが推してるなら見るしかないのだ。

「サマーフィルムにのって」は時代劇オタの女子高生達が友達や未来人を捕まえて映画を撮る話である。

クライマックスで「あー!なるほどー!」と大きな納得をして映画は終わった。そして1週間後にもう1度見て、改めて「なるほどー!」と納得しつつ歩いて家路についた。

何を納得したのか。それは「すごく演劇的な映画だな」と思いながら見ていたら、脚本がバリバリの演劇畑の人だったからだ。なんならキャストにもその劇団のメンバーがいた。演劇畑の役者さんはハキハキ喋るから大変分かりやすい。

では演劇的とは何か。それは「物語の分かりやすさ」ではないか。

例えば映画は観客の見方を誘導することができる。殺陣のシーンなら侍の目や柄を握る手をクローズアップして写したり、逆に全景を写して囲まれている様子を写したりできるし、レンズを変えれば視野を広げたり狭めたりもできる。映像ならこんな風に見せ方を演出することができる。

ところが演劇の場合観客は舞台上のどこを見るのも自由だ。物語を見せるためには明確なセリフや役者の動きが必要になる。睨みを利かせるなら眼だけでなく体全体を動かさなければならないし、その場に立ち尽くすのではなく身振り手振りを交えて喋らなければ観客の注目を集めることができない。

演劇が不便であるようにも見えるけれど、今回のように演劇的な映画になると「物語の分かりやすさ」が際立つし、単純に見ていて楽しい。ぼんやり見ようがしっかり見ようが物語に引き込まれてしまう。そしてラストシーンで見事に切り捨てられて、「うおー!」と唸りながらブログを書くことになる。見ているときは「このカットとかセリフいるんか?」と思う所もあったのに、「演劇として見るなら必要だった...」と最後にまた納得してしまった。逆に純粋な映画として見るときにこの脚本や演出に違和感を感じたりする人もいるんかしら。

1000字弱感想文を書いたけれど、別に解釈しながら見なくてもめちゃくちゃ楽しい映画なので今のうちに見るのだ。わしはブルーハワイ役の祷キララが超好き。あと役名がみんな無茶苦茶なのも最高。

あ!!!!!祷キララって2年前にヨーロッパ企画の本公演で見てるやん!!!!!!

 

phantom-film.com

 

 

脚本家さんの所属劇団。関西に来たら見に行くぞ。

loloweb.jp

「コンテナのスタッキングは5段まで」この説明書に書いてあることをあなたが守るならの話だけれど。

引っ越して一カ月経ったというのにまだ本棚がない。

荷造り用の段ボールに本を入れたままにするのも癪なので10個ほどのバックルコンテナに詰め込んで壁際に積み上げてみたが、なんだか部屋が倉庫か工場のようになってしまった。

しかも本以外にも工具やバイク用品も箱に詰め込んでしまったので、どれに何を入れてたのかさっぱり分からなくなってしまった。しょうがないのでテプラや養生テープで「ドリル」だの「塗料」だの「同人誌」だの書いたラベルを作って貼ってみたが、そのせいでさらに部屋の倉庫感が増し、「5S」活動を頑張っている現場みたいになった。

そもそもこれは本棚を買えば解決する話なのだが、いい感じの本棚というのはそう簡単に見つかるものではない。

かろうじて組み立て式の棚1つを仮の本棚として稼働させているが、その棚もキッチンに置いているので「映像研には手を出すな!」の手前にイナバのタイカレー缶が積み上げられているし、「三体」の横には箱入りの養命酒が立てられている。

棚の最上段には文庫本が並んでいるので「キッチンでパスタを茹でながらフィッツジェラルドを読む」という村上春樹的ムーブはできるかもしれないけれど、あいにく――もしくは幸いと言うべきかもしれないが――僕の家にはパスタの茹で上がりを妨げるような電話は置かれてないし、シャワーを浴びながらわざわざ大声で話しかけてくるような人もいないから、今のままでは説得力に欠けた演技をして審査員を――彼らは一体何を審査するというのだ?―—落胆させてしまうことだろう。

蔵書はともかく増えた工具類や塗料の類は箱ごとベランダに保管すれば良いので多少は部屋も片付いた。

9月以降は気圧が下がり脳は圧迫され生活もハードモードになっていくので今のうちに身の回りは片づけておくことにする。そして週に一度はサウナをかまして体をリセットするのだ。

村上春樹的にはサウナってどうなんですかね。湯船に入る描写すらあんまりなかったような気がする。

日記と木工とバイク

かれこれ10年ほど手書きの日記を書いている。

気が向けば書く、ということにしているが、かつて最長で1年半ぐらい書かなかったことがある。それだけ気が向かないならいっそ日記を処分しても良いものだけれど、ある日突然再開しているので移り気というのは不思議なものである。

一番よく日記を書いていたのは大学時代だった。それなりに書くこともあったのだろうし、文章を考えるのも楽しかったのだろうと思う。

今は月に5~10日分ぐらいのペースで書いている。1日1行の日もあれば、A5ノート1ページをきっちり埋める日もある。寝付けない夜中に書くこともあるし、間違えて早起きした早朝に書くこともある。ただし日中はまだその日が終わっていないから書いていない。

10年間日記を書いていると、僕はずいぶんと色々なものを気に入っているということが分かった。文章は日記を書いているのだからもちろん好きだけれど、最近は木工とバイクを気に入っているようである。

中型バイクが欲しくて免許から取り、バイクを置ける賃貸マンションに引っ越し、ベランダにウッドデッキを作った。

ベランダには目隠しのパネルが張り付けられているので眺望は良くないが、椅子に座ってぼんやりタバコを吸ったりしているとそれなりに落ち着ける。ただタバコは臭いので吸うたびに手を洗って口をゆすがなければならないし、日記と同じ頻度でしか吸わないのでいつも湿気ているのが難点だ。

今週末は新しいバイクが納車される。日記は過去のことを書くのが普通だけれど、未来のことを書いておけば少しは楽しく過ごせるかもしれない。

昭和96年夏の敗戦

「うっせえわ」と言えるほどの反骨精神がないので「知らんがな」と呟きながら暮らしている。

誰が呼んだか知らないが我々は無欲な「さとり世代」である。誰かがまとめた誰かの話を聞いて何かを知った気分になり、誰かが撮った何処かの写真を見てそこに行った気分になり、読む文章の最後の言葉はいつも「いかがでしたか?」になっている。

不要不急だステイホームだと言われても、普段通り過ごすだけで人と関わらない暮らしぶりになっていて、ワクチンの接種券が届けば淡々と予約をして、肩の出る服装で会場へ向かっている。副反応に備えてポカリとロキソニンを飲んで眠り、翌朝上がらない腕を見て「こんなもんか」と納得する。

誰かの怒りに共感することもないし、誰かの悲しみに寄り添うこともない。自分と関係のないことはこの世の中に存在しないのと同じであり、取捨選択するほど情報が多いなら最初から何も見聞きしないことを選んでいる。

エアコンの効いた部屋から炎天下の交差点を見下ろすと、日傘をさして小さな扇風機の持った人が見える。そうしていると世間と自分との間にはどうしようもなく深い溝が横たわっているのだとしみじみ実感できる。

どういうわけかエネルギーはすっかり失われてしまった。凪いだ水面に浮かんだ船はどうなってしまうのか。しかし考えたところで「知らんがな」としか思わない。

多分これ夏バテだな。焼肉でも食って寝よう。

舞台『夜は短し歩けよ乙女』上田誠はミュージカルもできるし久保史緒里は見たことあるぞ

夜は短し歩けよ乙女』が上田誠の元で舞台化した。

2006年に出版されたこの作品が僕の人生に与えた影響は計り知れない。本が好きになり、大阪の大学に進学し、同じ輩に出会い、ヨーロッパ企画にハマり、それからずっと七転八倒し続けることになったのは、そもそも森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』に出会ったからだった。よくもまあ15年も推し続けたものである。

舞台化のニュースを見て「ああ、ついにか」という気持ちでチケットを取った。大阪のクールジャパンパーク大阪WWホールとかいうクールな名前の劇場の千穐楽だ。シアターBRAVAが無くなって久しいけれどまさか再び大阪城公園に来られるとは。

ヨーロッパ企画主義者なのでチケットはヨロ通付のものにして、開演までの間はパンフレットと一緒にじっくり読んで過ごした。久しぶりに読んだヨロ通はいつも通り文字が多くて安心した。

ヨーロッパ企画ではない上田誠の舞台の新鮮さ

上田誠の舞台とは言え今回はヨーロッパ企画公演ではない。先輩役は歌舞伎の中村壱太郎、乙女役は乃木坂の久保史緒里、李白役は竹中直人。やたら強そうな面子をそろえたのはフジテレビだからだろう。もちろんサイドも手堅く固めてあり、そしてヨーロッパ企画界隈のメンバーはキャスト全体の3分の1くらいを占めていた。

我らの団長こと池浦さだ夢、セリフの長回しがバキバキに決まっていた藤谷理子、やたら機敏に動く金丸慎太郎が起用されていたのも嬉しかった。団長が出ると聞いて最初は「絶対パンツ総番長じゃん」と思ったがまさかのMCなのは驚いた。きっとヒップホッパーとして求められるところが大きかったのだと舞台を見てから納得した。それに韋駄天こたつの素早さにに団長の膝は耐えられないだろう。

 ミュージカル並に歌いまくる劇なんて作れたのか

作中でみんなが歌いまくるのには驚いた。上田誠Twitterで劇中歌の歌詞やセリフを公開していたけれどよくもまあここまで作れたものである。ヨーロッパ企画の舞台はエチュードからにじみ出たエッセンスが脚本になっていくといつか聞いたことがあるけれど、脚本ベースで書くとこんなものが生まれてくるのか。どんな作り方をしているのか大いに気になる。

ヨーロッパ企画の”劇を回す”という役割

劇の進行という点で土佐さんや石田さんなどヨーロッパ企画メンバーの働きはよく目立っていた。「このセリフきっかけだろうなー」というポイントもなんとなく伝わってくるし、見慣れた光景でなんだかほっとする。しばらく舞台を見られなかったのもありなんだか感傷的な気分にさえなった。

酒井君の未来ガジェット風の発明や航時法は出てこなかったけれど舞台は”物理的に”回っていたし、映像を使った演出や美術は僕にとっては目新しくて新鮮だった。この辺にリソースを割くことができるのはさすがテレビ資本の舞台である。なんなら実写映画化までするんじゃないかとさえ思った。そしていつか金曜ロードショーで流れるんだ。

竹中直人竹中直人感と久保史緒里の見覚え

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今作で一番注目していた竹中直人は、実によく動き、必要十分な情報量の芝居をする人だった。しっかり注目を集めているのに悪目立ちはしないし、中途半端な存在感で場の流れを散らすこともしないし、終始「しっかりしてるなあ」と思って見ていた。直前に劇パト2を見て「あー、今度この人見るのか―」と余計なイメージを作っていたのに実にスマートでかっこよかった。前述の土佐さんや石田さんが要所要所で物語の進行を引っ張るのに比べると、竹中直人は流れるようなお芝居をしていた。そして革ジャンの良く似合う人だった。

久保史緒里は前情報が「乃木坂の人」しかなく、「どんな人なんだろうなあ」と思いながら開演を待っていた。始まってみるとキラキラしてるしハキハキ喋るしテキパキ動くし「うわあちゃんとしてる」というバカみたいな感想を抱くことになった。「ちゃんとしてる」は僕にとっての最上級の誉め言葉なので言い換えれば絶賛である。かつて上坂すみれAC部のイベントで見た時も「しっかりしてるなあ!」と感心したものである。

終演後、帰りの電車で「乙女役のあの子、どっかで見たことある気がするぞ」と思って自宅の本棚を漁ると、唯一持っているグラビア雑誌の表紙が久保史緒里だった。1年前に表紙買いしてほったらかしだったけれど、ここから1年で乙女のあのキラキラした姿になるなんて恐ろしい娘!である。それに己の先見の明も恐ろしい。いったい何を見通していたのやら。

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今回の座席は前から3列目ぐらいだったのだが、最前列にいた久保史緒里ファンっぽい人が双眼鏡でずっと久保史緒里を追っていて、あれはなかなか見上げた根性だった。最前列が取れてその上双眼鏡まで使うとは実に贅沢な楽しみ方である。あとカーテンコールの時に拍手でなく手を振るってのがアイドル文化圏っぽくて新鮮だった。僕もぐったりした団長を拝んでいたのでいろんな楽しみ方があるものだ。

やっぱり演者が見えるってのは素晴らしい。久しぶりに見たお芝居が「夜は短し歩けよ乙女」で本当に良かった。上田誠の演出だし、ヨーロッパ企画界隈のメンバーも見られたし、会場であの楽しさをみんなで共有するというのはやはり貴重な体験である。このライブ感は何物にも代えられない唯一無二のものだ。そりゃあ手も振るし拝みもするよ。さてブルーレイを予約しよう。

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