昭和96年夏の敗戦

「うっせえわ」と言えるほどの反骨精神がないので「知らんがな」と呟きながら暮らしている。

誰が呼んだか知らないが我々は無欲な「さとり世代」である。誰かがまとめた誰かの話を聞いて何かを知った気分になり、誰かが撮った何処かの写真を見てそこに行った気分になり、読む文章の最後の言葉はいつも「いかがでしたか?」になっている。

不要不急だステイホームだと言われても、普段通り過ごすだけで人と関わらない暮らしぶりになっていて、ワクチンの接種券が届けば淡々と予約をして、肩の出る服装で会場へ向かっている。副反応に備えてポカリとロキソニンを飲んで眠り、翌朝上がらない腕を見て「こんなもんか」と納得する。

誰かの怒りに共感することもないし、誰かの悲しみに寄り添うこともない。自分と関係のないことはこの世の中に存在しないのと同じであり、取捨選択するほど情報が多いなら最初から何も見聞きしないことを選んでいる。

エアコンの効いた部屋から炎天下の交差点を見下ろすと、日傘をさして小さな扇風機の持った人が見える。そうしていると世間と自分との間にはどうしようもなく深い溝が横たわっているのだとしみじみ実感できる。

どういうわけかエネルギーはすっかり失われてしまった。凪いだ水面に浮かんだ船はどうなってしまうのか。しかし考えたところで「知らんがな」としか思わない。

多分これ夏バテだな。焼肉でも食って寝よう。

舞台『夜は短し歩けよ乙女』上田誠はミュージカルもできるし久保史緒里は見たことあるぞ

夜は短し歩けよ乙女』が上田誠の元で舞台化した。

2006年に出版されたこの作品が僕の人生に与えた影響は計り知れない。本が好きになり、大阪の大学に進学し、同じ輩に出会い、ヨーロッパ企画にハマり、それからずっと七転八倒し続けることになったのは、そもそも森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』に出会ったからだった。よくもまあ15年も推し続けたものである。

舞台化のニュースを見て「ああ、ついにか」という気持ちでチケットを取った。大阪のクールジャパンパーク大阪WWホールとかいうクールな名前の劇場の千穐楽だ。シアターBRAVAが無くなって久しいけれどまさか再び大阪城公園に来られるとは。

ヨーロッパ企画主義者なのでチケットはヨロ通付のものにして、開演までの間はパンフレットと一緒にじっくり読んで過ごした。久しぶりに読んだヨロ通はいつも通り文字が多くて安心した。

ヨーロッパ企画ではない上田誠の舞台の新鮮さ

上田誠の舞台とは言え今回はヨーロッパ企画公演ではない。先輩役は歌舞伎の中村壱太郎、乙女役は乃木坂の久保史緒里、李白役は竹中直人。やたら強そうな面子をそろえたのはフジテレビだからだろう。もちろんサイドも手堅く固めてあり、そしてヨーロッパ企画界隈のメンバーはキャスト全体の3分の1くらいを占めていた。

我らの団長こと池浦さだ夢、セリフの長回しがバキバキに決まっていた藤谷理子、やたら機敏に動く金丸慎太郎が起用されていたのも嬉しかった。団長が出ると聞いて最初は「絶対パンツ総番長じゃん」と思ったがまさかのMCなのは驚いた。きっとヒップホッパーとして求められるところが大きかったのだと舞台を見てから納得した。それに韋駄天こたつの素早さにに団長の膝は耐えられないだろう。

 ミュージカル並に歌いまくる劇なんて作れたのか

作中でみんなが歌いまくるのには驚いた。上田誠Twitterで劇中歌の歌詞やセリフを公開していたけれどよくもまあここまで作れたものである。ヨーロッパ企画の舞台はエチュードからにじみ出たエッセンスが脚本になっていくといつか聞いたことがあるけれど、脚本ベースで書くとこんなものが生まれてくるのか。どんな作り方をしているのか大いに気になる。

ヨーロッパ企画の”劇を回す”という役割

劇の進行という点で土佐さんや石田さんなどヨーロッパ企画メンバーの働きはよく目立っていた。「このセリフきっかけだろうなー」というポイントもなんとなく伝わってくるし、見慣れた光景でなんだかほっとする。しばらく舞台を見られなかったのもありなんだか感傷的な気分にさえなった。

酒井君の未来ガジェット風の発明や航時法は出てこなかったけれど舞台は”物理的に”回っていたし、映像を使った演出や美術は僕にとっては目新しくて新鮮だった。この辺にリソースを割くことができるのはさすがテレビ資本の舞台である。なんなら実写映画化までするんじゃないかとさえ思った。そしていつか金曜ロードショーで流れるんだ。

竹中直人竹中直人感と久保史緒里の見覚え

f:id:tannymotors:20210711120652j:plain

今作で一番注目していた竹中直人は、実によく動き、必要十分な情報量の芝居をする人だった。しっかり注目を集めているのに悪目立ちはしないし、中途半端な存在感で場の流れを散らすこともしないし、終始「しっかりしてるなあ」と思って見ていた。直前に劇パト2を見て「あー、今度この人見るのか―」と余計なイメージを作っていたのに実にスマートでかっこよかった。前述の土佐さんや石田さんが要所要所で物語の進行を引っ張るのに比べると、竹中直人は流れるようなお芝居をしていた。そして革ジャンの良く似合う人だった。

久保史緒里は前情報が「乃木坂の人」しかなく、「どんな人なんだろうなあ」と思いながら開演を待っていた。始まってみるとキラキラしてるしハキハキ喋るしテキパキ動くし「うわあちゃんとしてる」というバカみたいな感想を抱くことになった。「ちゃんとしてる」は僕にとっての最上級の誉め言葉なので言い換えれば絶賛である。かつて上坂すみれAC部のイベントで見た時も「しっかりしてるなあ!」と感心したものである。

終演後、帰りの電車で「乙女役のあの子、どっかで見たことある気がするぞ」と思って自宅の本棚を漁ると、唯一持っているグラビア雑誌の表紙が久保史緒里だった。1年前に表紙買いしてほったらかしだったけれど、ここから1年で乙女のあのキラキラした姿になるなんて恐ろしい娘!である。それに己の先見の明も恐ろしい。いったい何を見通していたのやら。

f:id:tannymotors:20210711115648j:plain

今回の座席は前から3列目ぐらいだったのだが、最前列にいた久保史緒里ファンっぽい人が双眼鏡でずっと久保史緒里を追っていて、あれはなかなか見上げた根性だった。最前列が取れてその上双眼鏡まで使うとは実に贅沢な楽しみ方である。あとカーテンコールの時に拍手でなく手を振るってのがアイドル文化圏っぽくて新鮮だった。僕もぐったりした団長を拝んでいたのでいろんな楽しみ方があるものだ。

やっぱり演者が見えるってのは素晴らしい。久しぶりに見たお芝居が「夜は短し歩けよ乙女」で本当に良かった。上田誠の演出だし、ヨーロッパ企画界隈のメンバーも見られたし、会場であの楽しさをみんなで共有するというのはやはり貴重な体験である。このライブ感は何物にも代えられない唯一無二のものだ。そりゃあ手も振るし拝みもするよ。さてブルーレイを予約しよう。

www.yoruhamijikashi.jp

イケアの家具を再利用するのはやっぱり不可能だったよ

7月末の引っ越しに向けた準備を少しずつ進めている。今回の移動距離は220メートルだからおそらく過去最短だ。引っ越しというイベントは割と好きな方だったが、そろそろ面倒くさいと感じるようになってきたので初めて引越し業者を使うことにした。自分で人とトラックと飯の手配をしなくて済むのは楽でいい。しかもダンボールまで無料でくれるというのだからありがたい。ダンボールといえど買えばそれなりの値段がするし、わざわざスーパーなどに貰いに行くのも骨が折れる。

前に住んでいた通称「独居房」から今の家に引っ越したときは住環境も大幅に改善して気分も良かったが、次の家は今と大して変わらない条件だからそのせいで引っ越しがお億劫に思えるのかもしれない。

今回の引っ越し理由は「バイクを置きたいから」だったけれど、カブは親父の退職祝いにあげることにしてしまった。そしてその勢いで新車の中型バイクを契約してしまった。自分でも何をやっているのか良く分からない。30万で買ったカブを親父にあげて、代わりに100万の新車を買って、そのバイクを置くためにに引っ越すのだ。どうかしている。

不動産屋のアンケートに書いてあった引っ越し理由の欄には「気分転換」と書いた。カブで1週間九州を巡る計画も立てている。夏休みはお盆期間ではなく7月に取ろうとしている。自分でも何がやりたいのか分からない。

これを青春と呼んでいいのなら、若者のエネルギーは核融合より強烈だろう。

おじさんの趣味を何でも女子高生アニメ化しやがって

どんなアクティビティも女子高生が主人公のアニメにしてしまえばコンテンツになってしまうのだから、女子高生はつくづく万能な属性である。

キャンプをすれば「ゆるキャン」、登山をすれば「ヤマノススメ」、南極に行けば「よりもい」、そして今期はスーパーカブに乗っている女子高生のアニメまで出てきた。身の回りの物事がどんどんアニメ化されていく。

いまのところ僕は「ゆるキャン」のしまりんとスーパーカブの小熊をそれぞれ襲名している状態にある。しまりんとは使ってるテントが同じシリーズだし、小熊とは同じバイクに乗っている。女子高生という点を除けば実質的に同一の存在と言っても差し支えない。

でも別に誰かに憧れて何かをやっているというわけではなく、ただ自分のライフワークの一部がコンテンツ化されて、そこのキャラクターに自分が引っ張られているだけなのでいちいち気にしてもしょうがない。それでもどこかで「にわか」だの言われやしないかと考えてしまうのも事実なので、アラサーのくせに紙風船並みのメンタルである。

その点ウマ娘は安定して楽しめる。基本的に擬人化した馬が一生懸命走ったり、たくさんご飯を食べたりしているだけなので、見ていても素直に応援できる。友達が「ようはガルパンみたいなもんでしょ?」と乱暴な総括をしていたがあながち間違いではない。

ウマ娘はみんなかけっこが上手い。一方でオタクはかけっこが苦手だ。だからオタクがウマ娘に憧れるのは当然のことだ。

ガルパンはみんなのチームプレーで勝ち進んでいく。一方でオタクはチームプレーが苦手だ。だからオタクがガルパンに憧れるのも当然のことだ。

だからウマ娘ガルパンも似たようなものなのだろう。馬も昔は戦車やってたしな。

推しの力でページをめくる

最寄りの本屋がこの春に潰れてしまい、本を買うには1ブロック東に行かなければならなくなった。実に面倒くさい。しかし本を紙で所有したい主義者としては電子書籍お茶を濁すのも、通販を使って本屋での未知との遭遇を逃すのも嫌なので、しぶしぶ新しい本屋に通うことにした。
新しい本屋はビジネス街にあり、店頭の平積みは半分がビジネス書だった。棚には手前からビジネス書、資格本、参考書の順で並び、文芸や漫画は店の奥に追いやられていて、最深部には趣味の雑誌が置かれていた。面積は新しい店の方が広いと思う。でも購買層が全然違うからカゴにポンポン漫画を放り込んでいると、なんだか場違いなことをしているような気がしてくる。簿記2級を放り出して悪かったよ。気が向いたらまた勉強するから勘弁してくれよ。
眉月じゅんの『九龍ジェネリックロマンス』が面白くて「うひょー」だの「ヒャー」だの言いながら既刊の4冊を一気に読んだ。鯨井さんは大変可愛いし、飯はどれも美味そうである。
ただ、今まで通っていた本屋だったら手書きのポップ付きで推されていただろうなと考えて寂しくなった。あの店の漫画担当の店員さんは別の店に異動したのだろうか。背が高くて細身でゴツゴツしたブーツを履いていた漫画コーナーの店員さん。あの人が推していた漫画はどれも面白くて、一度だけ「おすすめしてた漫画心に刺さりましたよー」と言ったことがある。店員さん推しを理由にあの店に通っていたのは否定できない。だからこそ潰れた時は悲しみもひとしおであったのだ。

推しも本屋もなくなる時代なんてろくでもねえや。

お出かけの日の朝マック

小さい頃、家族と朝から出かけるときの朝食はいつも朝マックだった。朝にしか食べられないハッシュドポテトが大好きで、あの脂っこいポテトせんべいを食べると今日は朝から丸一日遊べるのだと実感することができた。

その思い出は20年以上経った今でも私の食文化にはっきりと残っていて、早朝からツーリングにでかけるときは、できるだけ朝マックを食べてから出発するようにしている。お出かけに対するワクワクがまさか朝マックから湧いていたとは。

明日はバイクを借りてお出かけだ。マックグリドルハッシュドポテトとオレンジジュースをお腹に入れて、初めて乗るバイクを思いっきり楽しむのだ。

胸焼けしないといいな。それに事故だって勘弁だ。大人になるといろんなことに気を取られてしまう。ワクワクに対するノイズが増える。でもワクワクのほうが大きければきっとノイズなんて気にならないだろう。子供だった頃の私よ、大人でもワクワクするんだぞ。しかも財布にはお札が入っているんだ。どうだすごいだろう。

5月突入と同時にそうめんを解禁。夏バテの日は近い。

「吉祥寺に一方的に憧れてる人って多いよね」と人は言うけれど、本当は吉祥寺に憧れてる人なんてもうどこにもいない。イメージの中の人がイメージする街、夢の中で見る夢、それが吉祥寺である。

最後に東京に行ったのがAC部のイベントのときだから、およそ2年ぐらい行っていないことになる。そろそろ神田で蕎麦を食べたり、西荻窪で立ち飲みをしたり、上野で美術館を巡ったりしたい。そして街頭の大型モニターにでかでかと映し出される小池百合子の顔に怯えて立ちすくんだりしたい。

東京に行きたい行きたいと言いつつやっていた転職活動も結局近所で終わってしまい、もう東京で暮らすことは叶わないんだろうなと心のどこかで諦めている自分も存在している。しかしだからこそ吉祥寺のようなデタラメ東京を作り上げ、それに向かってあーだこーだ言うことに力を尽くしてゆかねばならない。ようは決めつけと偏見に基づいて野次を飛ばしてカタルシスとするのだ。あまりに非生産的、あまりに無益、しかし楽しい。

ゴールデンウィークもそんな非生産的で無益な日々であったので、これもまた虚像なのかもしれない。だって疲れ取れてないし、休みのはずなのに仕事してるし、仕事しながらブログ書いてるし、ブログって嘘だし。じゃあゴールデンウィークも嘘じゃねえか。緊急事態宣言も伸びたらどうせ休業することになるだろうし。そうするとまた虚像が膨らんでいく。現実って何さ。