上田誠が映画監督を務めると聞いて、ああついにこの時が来てしまったのかと思った。時は満ち、機は熟し、賽は投げられ、ゴングは鳴り、陣は背水となり、そして上田誠がルビコン川を渡り始める。その先にあるのは真っ白なスクリーンだ。上田誠は一体何を描くのか。
上田誠は京都のヨーロッパ企画という劇団の主宰である。彼はお芝居を作ったり、テレビやアニメや映画の脚本を書いたり、大喜利大会やイベントに出たり、四条大宮でお酒を飲んだりしている。
この人が作るものはいつだって面白い。コメディに軸足を置きながら、もう片方の足と両手で無限の世界を作り出す。天井の低い部屋、横スクロールの島、縦に続くゲート、シネマティックユニバース。そんな世界を見せつけられた僕たちはいつも決まって「ようそんなこと考えるなあ」と言いながら家路につくことになる。上田誠とはそんな人である。
いったい我々は何を見せられるのだろうと想像を膨らませながら、「ドロステのはてで僕ら」の舞台になったカフェパランから徒歩1分のBiVi二条にあるTOHO二条へ向かった。BiViはリニューアルしてご飯屋さんが増えてたね。
「君は映画」は前情報を一切入れずに観た。基本的に上田誠作品は前情報が何の役にも立たないし、チラシには大抵嘘しか書いていないからだ。予告編も見ていないし、だれが出るかも知らない。ただヨーロッパ企画のメンバーはだいたいキャラクターにあわせて配役してあるので、酒井君は「めちゃくちゃ胡散臭いな!」と思ったし、永野君は「なんか酷い目に遭いそう!」、金丸君は「絵にかいたようなチンピラ!!!」と思った。そして作中ではもちろんその通りになった。むしろ配役の安心感があるからこそ、物語の構造により深く没入することができたともいえる。
ネタバレせずに作品の感想を述べるのは難しいが、タイトルの通り物語の主人公は映画の中の人物で、その相手も映画の中の人物だ。そのほかの登場人物もすべて映画の中の人物たちだ。文字にしてみると至極当然の話である。なぜならこれは映画なのだから。
もちろん映画だからあらすじはあるし、パンフレットにはネタバレが書いてある。映画は1秒間に24コマの画を写しながら進み、もしそれができないなら映写機が壊れている可能性がある。映画館には映画と観客がいて、映像体験は当然ながら一方通行だ。
けれどもその仕組みを下北沢のビルの中でこねくり回してしまうのが上田誠である。因果関係が歪めば世界は滅びかねないというのに、わざわざその一部始終を映画にしまうとは。上田誠とはなんと恐ろしい男だろう。そういう映画だった。
というかわざわざこんな感想文を読んでいるあなた、あなたのいるその世界って映画ですからね?


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