TANNYMOTORS

一度人を食らった熊は、その味が忘れられず再び人里に降りてくるという。つまりバイクの日記です。

映画『夜は短し歩けよ乙女』星野源、どうしてお前は星野源なのだ。

ついに来た『夜は短し歩けよ乙女』映画化の知らせと、すぐに付けられた重たい足かせ。

森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』がついに映画になってしまった。森見作品といえば四畳半神話大系有頂天家族は既にテレビアニメになっていたりもするが、森見作品の中からアニメ映画化される傑物が出てくるとは、森見登美彦自身もちょっぴりしか思っていなかっただろう。

監督は湯浅政明。脚本は岸田国士戯曲賞を受賞したヨーロッパ企画主宰上田誠。キャラクター原案は中村佑介。楽曲にアジカン。「四畳半神話大系」のメンバーで「夜は短し歩けよ乙女」を作るわけだから面白くならない訳がない。

予告を観た喜びと絶望、主演:星野源の理由はどこに

星野源を鬼の敵のように憎むやつがいる。私も星野源が嫌いだ。態度が気に入らないから、なんとなく癪に障るから、サケロックをなかったことにして、ブラックミュージックからイエローミュージックに派生する音楽の提唱を、在日ファンクの浜野謙太から奪ったからとか、理由は色々ある。

だが私念は別にしても、星野源が声優として主演の器を満たす演技ができるか不安だった。風立ちぬ庵野秀明が主演を張って大変なことになったのは記憶に新しい。あの悲劇が再びやってくるのではと思った。星野源以外のキャストは本業の声優が占める中で、どこまでそのギャップを埋められるのか、どこまでアニメの演技ができるのか。浮きはしないのか。たった一秒で「これは大炎上じゃないか?」という不安でいっぱいになった。

夜は短し歩けよ乙女」の刊行から11年。今の自分がこんなことになったのも、この一冊を読んで読書好きになったことが全ての始まりだった。そんな思い入れのある作品がついに映画化されるというのに、星野源が主演になってしまったことで、美しいままであった思い出が無為に傷つけられてしまうような気がした。

ネタバレなしの映画版「夜は短し歩けよ乙女」思い出し実況

開始直後:映画は私の怯えを知らずに始まった。それは怯えを落ち着ける甘美な光景だった。

木屋町は京都で最も大きな繁華街の一角であり、立ち飲み屋から料亭までが高瀬川に沿って南北に軒を連ねる。そのうちの一軒で”乙女”は宴席の酒を楽しみつつも、同席者を気にして鯨のように酒を飲むことができない。その彼女の仕草は、アニメ的で記号的だが、十分に可愛らしいと言える。そして、彼女の席を見つめる男が一人いる。”先輩”である。

開始5分:星野源の声が聞こえる。これからずっとこの声が聞えるのか。

”先輩”は彼女へ声をかけないことを仲間に叱責されると、意地を張って反論した。その瞬間ストーリーが頭に入ってこなくなった。アニメーションとキャラクターの仕草に不釣り合いな星野源の声が聞こえてきて、頭を抱えてしまった。ストーリーや演出以前に、星野源が自分の一番作品の物語の中で暴れているのが恐ろしくて仕方がない。半年以上連絡をとっていない実家に何も言わずに戻ってみたら、そこが木っ端微塵に吹き飛ばされていたくらいの恐ろしさだ。

終了まで:ここでコレを出すか!ああ貴様は黙ってろ!いやしかし素晴らしい!

星野源が喋っている部分から意識をそらしていたものの、酒を飲み倒す木屋町、青春を押し売りする学園祭、買うのは本と喧嘩の古本市、風邪と自意識をこじらせて荒れる京都の街は、それぞれがまんべんなく調和していた。

お気に入りは学園祭のシーンだ。パンツ総番長が1年前に一目惚れした女性に再び会うためにゲリラ演劇を繰り広げる。演劇はミュージカルなのに、公演を重ねるごとに役者が捕まっていくから代役の代役の代役の…という連鎖が続いて演技はどんどんひどくなる。しかし物語はいずれクライマックスを迎える。その時パンツ総番長が初めて舞台に立つ。1年前のあの人を見つけるために。

何度も読んだ小説が映像になると、自分のイメージでは描ききれていなかった物事全てが具体化されていて、その情報量の多さに目を離すことができなくなった。星野源が出るたびにうんざりしながらも、それを上回る映画の魅力が何度も夢を見せてくれた。結局、終わってみればそれで十分だった。何も言うことはなかったのだ。

結論:ベストを尽くした良い映画。主演が星野源だったことを除いて

監督、脚本、キャラクター、声優、それぞれのスタッフが持ちうる技術を全て出しきって映画版「夜は短し歩けよ乙女」は完結した。どこかのトークショー森見登美彦が、「原作の版元であるKADOKAWAと、アニメの権利を持つニッポン放送との関係上、夜は短し〜の映画化はなかなか難しい」と語っていた。そんな背景がありながらも映画としての夜は短し歩けよ乙女を観ることができたのは心から嬉しかった。

ヒロインの花澤香菜は乙女として必要十分で、パンツ総番長のロバート秋山ははまり役で、四畳半神話大系に登場していたキャラクターたちもきちんと描かれていた。11年前には主流でなかったSNSやドローンが活躍するような脚本には上田誠の色がにじみ出ていたし、四畳半主義者や森見ファンがニヤける演出も盛りだくさんだった。

ただ、星野源が演じる先輩の描写だけは最後まで受け付けられなかった。声や演技はアニメに合っていないし、キャラクターデザインも原案と比べてほんの少しカッコよく描かれていたし、眼鏡も銀シャリの橋本がかけているような気取ったやつだった。パンフレットを読むと、中村佑介の原案から先輩だけはわざと星野源かそれに準ずるキャラクターに寄せられていたように見えた。

それでも全体を見れば主演の声が合っていないだけで、そこさえ除けば文字通りの完璧な作品だった。もちろん主演の声への不満を含めても、人に自信を持って勧められる映画になった。何度見たっていいしBlu-rayだって買う。それでも不満はワンドロップルールの理不尽さと明確さのように心に残り続ける。妥協でも断念でも打ち消すことのできない悲しみは、それが思い出になっても変わることはない。

観るだけならば素晴らしい映画です。ただし聴くことも含めると、不安になるリスクがあります。しかしそれでも良い映画であることは事実です。どうか一人でも多くの人がこの映画を見て、森見登美彦の作品を、京都の街を知ってくれますように。そして星野源がこの映画にとって合っていないということを分かってくれますように。