森見登美彦の『四畳半神話大系』とヨーロッパ企画・上田誠の『サマータイムマシン・ブルース』が混ざると何が出来上がるのかと人に聞いたとしよう。きっと十人中八人は「大学生が主人公の物語」と答え、一人は「めちゃくちゃ面白いやつ」と答えるだろう。そして最後の一人は「今ブログに書いてるから待ってくれたまえ」と言いながらキーボードを叩き始めている。それが私でありこの記事なのだ。
森見と上田とは誰か
小説家の森見登美彦は京都(の特に鴨川より東側)を舞台にした作品を多く手掛けており、『夜は短し歩けよ乙女』は星野源が主役声優として映画化もされている。(おのれ星野源!)
一方で劇作家の上田誠は劇団「ヨーロッパ企画」の主宰・作演出として劇作のみならず『四畳半神話大系』(アニメ)『夜は短し歩けよ乙女』(アニメ映画)の脚本も行っている。
いわば二人とも京都を舞台にオモシロいものを作り続ける同志なのだ。
レシピだけで「絶対美味しいやつやん」と思える組み合わせ
今回は森見作品を上田脚本にするのではなく、上田作品を森見小説にするという普段とは逆の流れで作品が作られている。とはいえ森見側にも上田側にもそれぞれモチーフの作品があるので、驚異のトリックやラスト30ページに瞬きを忘れるようなどんでん返しは一切ない。ご飯に海苔と目玉焼きとソーセージを乗せた朝ごはんの美味しさくらい、この2人のタッグには分かりやすさと安心感がある。
指数的にオモシロが増殖していく上田作品
上田誠の作るお芝居は、とにかく会話が多くテンポよく物語が進んでいく。ドローンで串カツにソースをつけたり、タイムパトロールが航時法(捕まると時の牢獄に収監される)を振りかざしたり、ダリが次元を超えたりするが、そんな「てんやわんや」を繰り返すことでオモシロが核分裂を起こし、やがて膨大なオモシロエネルギーとなって気づけばいつもカーテンコールを送っている。きれいに話を収めることもあれば、エネルギーを大爆発させたまま終わることもある。
とにかく面白いことを詰め込んで濃縮された舞台を上田は作ってくれるのだが、その核分裂にあたるのが役者の「会話」である。とにかく皆めちゃくちゃ喋る。喋ることで物語が進んでいく。そして言葉で追いつけないところまで事態が進行するとオモシロの核分裂にいたるのだ。
演劇の魅力の一つは実際に目の前で芝居が行われるライブ感だ。そしてそのライブ感を十二分に活かした舞台づくりが上田作品の魅力である
オモシロに衣を足し続けて装飾する森見作品
森見作品は比喩や形容詞をふんだんに使って文体を膨らませるのが特徴だ。彼は天ぷらを揚げながら衣をつぎ足してもこもこにするあの技術を、活字に応用することに成功させた数少ない作家の一人なのだ。
もちろんストーリー自体のオモシロさもしっかり確保されているので、立ち食いそば屋のえび天のようなひもじい思いをすることはない。伊勢海老の天ぷらに衣を足し続けて鯉ぐらいのサイズにしてしまうだけの力が森見登美彦の作家パワーなのだ。
上田ファンと森見ファンが拝み倒す『四畳半タイムマシンブルース』
今回は上田誠の物語に森見登美彦のキャラクターたちが登場してくるので、両方に思い入れがある私は「きゃあきゃあ」騒ぎながら読み進めていた。「田村」は上田作品の「田村」そのものだったし。やっぱり明石さんは可愛い。むしろが「田村」妬ましい。お前なんでそんなにもっさりしてんだよ。お前絶対小太りだしふてこいだろ。
かつて夢中で読んだ作品のキャラクターたちが、再び物語の中で「てんやわんや」している様子はたまらなく愛おしかった。誰の目線で語ってるんだろう。オタクの目線かしら。感じ入るところが多すぎて作品の中身を語るところまで言葉が進まない。とにかく憧れ続けた作品が再び綴られることの喜びをずっと噛みしめながら読んでいた。
特に思い入れのない人にだってもちろん手放しでお勧めできる。タイムマシンも出てくるし、京都も出てくるし、みんなガチャガチャしてるし、楽しい。そう、これは楽しい作品なのだ。
今年の京都には祇園祭も下賀茂古本まつりも五山の送り火もみたらし祭りもないし、何ならしょんぼりすることばかりだけれど、せめて本の中の京都ぐらいは楽しい場所であってほしいものである。でも暑さだけは現実も物語も同じだと思う。誰もが京都の暑さにはうんざりさせられているんだ。さっさと銭湯に入ってコーラでも飲んだほうがいいぜ。