TANNYMOTORS

一度人を食らった熊は、その味が忘れられず再び人里に降りてくるという。つまりバイクの日記です。

このとき点Pは動かないものとする

これまでずっと、一人で喫茶店に長時間滞在するということがどうも苦手だった。食事が済めばさっさと次の目的地なり用事に取り掛かればいいのに、みんなわざわざ珈琲一杯でその場に居続けているのか。僕には彼らの思考がまるで理解できなかった。しかしこの文章は今まさにコメダ珈琲で書かれている。もちろんひとりで。

Bluetoothキーボードの奥にスマホをおいて、スマホから伸びたSHUREのイヤホンは僕の耳を塞いでいる。その右にはコーヒーシェイクとコメダ豆(だってそう呼ぶしかない)、左には日記帳とペンケースと本が積んである。

わざわざコメダ珈琲に居座って何をしているのか。別にブログを書いてるだけなら家で書けばいいじゃないかと半年前の僕は考えていただろう。しかし仕事を放り出して引きこもりハイウェイを時速5キロで巡航している僕にとって、もはや家は何かをなすための空間ではなく、いわば地獄の底、どうしようもない日々の収束点なのである。つまり、有り体に言えば、家に居ても居心地が悪いのだ。家にいるだけでそのことへの罪悪感すら感じる。だから家の外に活路を見出し、椅子と机と飲み物のある喫茶店に入り浸ることになった。我が家は夏は暑く、冬は寒い。熱エネルギーの保持率が高すぎるので最近は外より室内のほうが寒いことさえある。それも外で引きこもるようになった要因の一つかもしれない。

お年寄りが喫茶店なりゲームセンターなりに入り浸っているのも、同じような理由だと思った。同じ場所での生活は続けられても、同じ部屋、同じ座標に居続けると人間はどこかがダメになってくるんじゃないだろうか。

JAXAとかNASAが閉鎖空間で生活する実験をやっていたが、あれもその日にやることを与えずに完全に放置したら、きっと実験もとい人格は破綻するに違いない。なんだかFalloutみたいな世界観だ。独居房で過ごしている囚人や、幽閉されるような人たちは、同じ場所にとどまり続けることで、いったいどうなっていくのだろうか。そういえば100億年ボタンみたいな漫画あったな。