TANNYMOTORS

一度人を食らった熊は、その味が忘れられず再び人里に降りてくるという。つまりバイクの日記です。

酔いの入り口、宵の入り口、出口

増税前に買った缶ビール1ケースも残すところあと2本となった。まだ10月に入って10日も過ぎていないのに、なぜこんなことになっているのか。原因を探してみたら両手で抱えきれないくらい湧き出てきた。自宅で気軽に酒が飲めるようになったこと、休みの前日は枕元でビールを飲んでいること、次の日の起き抜けにビールを飲んでいること、そして何より缶ビールが飲酒の入り口として最適であること。もともと外で酒を飲むのは好きだが、しかし自宅でわざわざ飲むほどの酒飲みではなかった。1ケースのビールを飲み干して得られたのは飲酒の習慣だけである。缶ビールの泡は愚かさのジャックポットだった。

良いか悪いかはともかく、家で飲んでもそれほど酔うことがない。飲みに出ると人のペースに合わせて飲んでしまって毎回ベロベロになっているのに、家で飲むと酔いが回る前に自然とストップしてしまう。「これ以上飲むと酔っ払うなあ」と判断して自動的に酒をやめるわけだから、我が内蔵たちはそれなりに優秀なのかもしれない。でも人と飲むと真っ先にブレーキを投げ捨てるので、そのあたりの愚かさも含めて自分らしいなと思う。だが酔えないなら家で酒を飲もうとするのは僕にとっては間違った行為だ。

酒を飲んで酔って騒いで厭世感を少しでも忘れようとしているのに、家でしみじみビールを飲んでベランダで駄文をこねくり回してもまったく楽しくない。それなら大学時代に就活の辛さに耐えかねて平野の家でホットケーキを焼きながら泣き崩れたり、平野の家に行こうとして自転車でひっくり返り、アスファルトに体を打ちつけ息ができなくなった日々のほうが遥かに楽しかったが、もしや平野の家は呪われていたのだろうか。

どんな形であれ家の中で一人で酒を飲むのはあまらないものだが、家の外で飲んでいれば何を飲んでも楽しいものだ。なんなら自宅の冷蔵庫から缶ビールを持ち出してそれを飲みながら散歩でもしてみればすぐにご機嫌になれる。

昼間に飲むのも良いが、やはり夕方から夜にかけての酒が一番良い。みんな家路についたり食事に向かったりしているなかでぼんやりと酒を飲んでいると、目の前の景色はすべて自分には無関係なんだと実感できてその孤独感がとても気持ち良い。そして気がつくといつの間にか夜になっている。そこから行きつけの飲み屋にでも入れば自分の居場所に戻れるし、そのまま家に帰って寝てしまえば社会とは無縁の気楽な存在のままでいられる。どちらにせよ翌日は二日酔いでうんざりすることになるのが常だが、何事も完璧よりは完成しているもののほうが実用的なので構わない。

酒は軽減税率の対象でないらしいが、もういっそのこと酒税ごと投げ捨てて非課税にしてもらえないものかしら。