TANNYMOTORS

一度人を食らった熊は、その味が忘れられず再び人里に降りてくるという。つまりバイクの日記です。

神田の蕎麦と江戸の飯

江戸の飯といえば「うなぎ、寿司、てんぷら、蕎麦」の4つであるという。

寿司、てんぷらはどこでもほとんど変わらない。うなぎも背を割くか腹を割くかの違いはあれど食べれば等しく旨い。しかし蕎麦だけはなぜだか日本で2種類のスタンダードが存在している。関西の人間としては、やはりあの底の見えない’’つゆ”が恐ろしくて仕方がない。しかし食わず嫌いでいるのも良くはない。何事も身を持って学ぶべきである。東京に来る機会があったので、せっかくだから東京の蕎麦と言うものを食べてみようじゃないかという気になった。

東京の地理には明るくないが、神田という街にある「まつや」という蕎麦屋に入った。ここで僕は初めて江戸の蕎麦を食うのだ。時間は4時を過ぎたあたりだったが、店は満員であった。すぐさま給仕の女性に「この席ね」と店の中央あたりの席に案内されたが、どうやらこの店は相席が普通のようで、席の斜向かいでは60前後の男が漬物で熱燗を飲んでいた。間を置かずして先程の女性が茶とメニューを持ってきた。ついにこの時が来た。江戸時代の参勤交代者向けの書籍に「蕎麦屋に入ったら『かけ』か『もり』をすぐさま注文すること」と書かれていて、「とりあえず素早く注文せねば」ということだけを考えながら私は蕎麦屋の暖簾をくぐったのだ。メニューを一瞥すると確かに「もしそば」の文字があった。「じゃあ『もり』下さい、あと瓶ビールも」とりあえず注文は上手くいった。先に出されたビールを一杯飲み干し、先客の斜向いの男を見る。この人は熱燗を飲んでいるが、注文するときにそれを「お銚子」と言っていた。そのときは、ああそういえばそんな言葉もあったな、としか思わなかったが、それも東京の言葉だったのかもしれない。この男を観察してみると、蕎麦は頼まずに日本酒と”あて”を目当てに店に来ているようだ。テーブルの上には熱燗(彼にとってはお銚子であるが)赤味噌のようなもの、板わさ、小さな箱に入った海苔が乗っていた。

人の酒と”あて”にとやかくいうのも野暮ではあるが、わざわざ海苔で酒を飲む人がいるのかと少し以外に思った。韓国海苔であればつまみとして成立するかもしれないが、この店の海苔は味付け海苔には見えないし、それで日本酒が進むのかは分からない。しかし店には海苔専用の箱まで用意されている。わざわざ海苔のためだけに食器まで用意しているということは、やはり需要があるのか、もしくは単なる見栄でそうしているのか。これが江戸の飯なのか。小さな点からも想像は大きく膨らんでいくものだ。

男と海苔を観察しているうちに「もりそば」がやってきた。何てことはない「ざるそば」である。薬味は海苔とネギで、わさびは付いていなかった。これ向かいの男と同じ海苔なのだろうか、と思いながらひとまず薬味を入れて蕎麦をすする。あ、旨いな。麺はしっかりとした歯ごたえががあり、また”つゆ”は甘く味も主張が強めだが関西とは違う美味しさがある。やはりどうしても関西の蕎麦と比べてしまうが、しかし関西のように出汁と僅かな醤油と塩だけでこの味は出ないのではないだろうか。薬味にわさびが付いていない理由もなんとなくわかった。関西であれば薄味なためわさびの香りも栄えるが、関東ではこの”つゆ”にわさびが負けてしまうのだろう。念のために”つゆ”も少し舐めてみる。やはり甘い。九州の刺身醤油ほどではないにしろ、”つゆ”というよりは”たれ”のような味の強さがある。後ほど蕎麦湯で割って飲んでみたが、なかなか美味しかった。

東京の飯も結局旨かった。おっかなびっくりしながら食べたものの、素直に東京の蕎麦を美味しいと思えてよかった。さて次は寿司である。東京には美味いもののすべてが集まるというが、境港、金沢、石巻などで食べた以上のものが果たして本当に食べられるのだろうか。