TANNYMOTORS

一度人を食らった熊は、その味が忘れられず再び人里に降りてくるという。つまりバイクの日記です。

10年代の総括。『生きたいたいか!?ピーキー過ぎてお前にゃ無理だよ!』

2010年に20歳になって、29歳になった2019年がそろそろ終わる。せっかくなので10年経って何が変わったように思えたか残しておくことにする。未来の誰かの何かの資料にでもなればラッキーだ。

ミスったら死ぬとみんな思ってる

ゆとり大学生の就職活動は大学3回の冬から始まり、早ければ4回の夏前に内定を取るパターンが多かった。より足の早い企業や学生はインターンなどで囲い込まれたり顔を売っておいたりして早々に進路を固めていた一方で、卒業までに就職が決まらない学生は就職浪人という留年を選択して就職活動を続ける人もいた。大学を卒業して就職活動をするケースはほとんど聞かなかった。リクルートマイナビが主導する新卒採用の流れの中で進路を決めなければ、その先に人生はないと信じ切ってみんな真っ黒なスーツ群れをなしていた。

とにかく進路選択は一発勝負の世界だった。就職活動に失敗すればカイジの地下帝国にいるような暮らししかできないし、就職先がブラック企業だったら心か体が壊れて再起不能になるし、転職活動でキャリアアップなんて一握りの人間しかできないレアケースだと思っていた。

働きだしてからも生きるのに精一杯で、給料は大して上がらないわりに消費税は上がるし年寄りは鬱陶しい。でも景気は良くなってるらしく、「株価がー、円相場がー」というニュースは時折聞いた。それにうまく乗ることができればもう少し楽に暮らせたのかもしれないけれど、あいにくそんな知識を持つ前に体を壊してギリギリ生きる生活になってしまった。これ以上人生で失敗したらいよいよゲームオーバーになるという恐怖が、新しい選択をする勇気を奪っているような気がする。

富める人は繋がり、貧しい人は孤立する

日本は景気が良くなってるらしい。豊かな人間は上級国民と呼ばれてお国の桜を見る会に呼ばれ、成り上がりみたいな連中は半グレとかいうヤクザ的なビジネス集団になり乱暴に金を稼いだりしているらしい。そういう人たちはやはり横のつながりが大変強いらしく、金の縁は縦横に重なりながら更に金を集める網になっているのだろう。

そして貧乏人は「おにぎりが食べたい」と書き残してアパートで餓死したりしている。現実世界では誰とも繋がないまま孤立してゆき、一部はSNS上で架空の存在として漂いながら死なない程度に生きて、でも結局豊かにはなれずに死んでいく運命にある。

労働者不足を理由に海外からの移民の受け入れを検討している話がある一方で、実は国内には就職氷河期世代、2019年時点で40歳前後の人々はダブついている。人材さえも不良債権になってしまうくらいなら、いっそ圧縮するために武力による北方領土奪還を目指してはどうだろう。維新な国会議員はきっとそういうつもりでアイデアを出してくれたのだと思う。資産は増え、負債は減るのだから、経営的には間違っていないはずだ。憲法が邪魔をするかもしれないが、役人は解釈次第でどうにでもしやがる。

日本が売りモノになる前は、売り手も買い手もしていたらしい

好景気だった頃の日本は世界を買うことさえできたらしいが、少なくとも10年代は日本企業が海外の企業に買われるほうが多かったような気がする。

日本製品は海外では大人気!」というのもきっと過去の噂話なんだろう。家電にしたって国産メーカーのものより海外メーカー製のほうが我が家には多い。うちの生活家電はほとんど中国製だし、パソコンは台湾製だ。唯一炊飯器だけは日本製だけど、どっちみち生産国は中国だ。先日中国のXiaomiが発表した炊飯器は、かつて三洋で炊飯器を開発していた技術者が関わっているらしい。そもそもXiaomiってスマホメーカーだったはずなのにな。結局、会社どころか作り手も海外に買われてしまった。

まだ残っている日本優位な分野もあるだろうけれど、国はiPS細胞にさえ金が出せないんだから日本の科学技術なんていずれは枯れるでしょ、という諦め気味である。日本が1位じゃなきゃダメなのかと聞いた国会議員が未だに政界にいるのも信じられない。

観光地で見世物になる暮らし

今暮らしている京都は観光客溢れていて、オーバーツーリズムや観光公害なんて呼ばれるようになった。日本が海外から人気になるのはやぶさかではないが、どうせ儲かるのは外資や商社系のホテルが主体で、地元民にとってメリットは全くないのだ。通勤経路や普段遣いの店が観光客で圧迫されて、暮らし始めてから居心地は悪くなる一方だ。鴨川から東側は基本的に行きたくないし、あと京都駅もできれば使いたくない。保育園児の散歩を引率する保育士さんはみんな撮影禁止の札をかばんに提げていて、それに至る過程を想像するだけでとてつもなく悲しい。関係ないと思ってた自分たちの暮らしが見世物になる苦痛を味わうことになろうとは思いもしなかった。

 

2019年のネオニッポン。生きるのが大変だ。本当はそうでないかもしれないけれど、大変だという認識が刷り込まれている。もっと思いついたら書いてみよう。