TANNYMOTORS

一度人を食らった熊は、その味が忘れられず再び人里に降りてくるという。つまりバイクの日記です。

映画『ナイトクローラー』向上心、探究心、経験、野心、その果てにいる成功者

つい先ほど、映画「ナイトクローラー」のDVDが送られてきた。今日が5月23日だからだ。送り主の映画評論家からは「増長しませんように」というメッセージが添えられていたので、これはその返事である。

あらすじ

都会で擦り切れた生活を送る主人公ルイスは、映像パパラッチ「ナイトクローラー」という仕事に出会う。事件、事故、様々なスクープ映像を売るフリーのカメラマンとなったルイスは、持ち前の向上心と欠落した倫理観で次々と映像と成功をカメラに収めていく。資本主義、実力主義における「結果が全て」を体現するルイス。その行き着く先は一体どこにあるのか。

これは間違いなく良い映画だった。良い映画の条件なんて知らないが、見終えたあと「そうか、これは物語だったんだ」と思えたのだから、それぐらい没入できる映画を贈られたことに感謝をしよう。もちろんレビューもするぞ。ネタバレはないから大丈夫だ!

主人公ルイスの人間性:彼を見習えば成功者になれるが

ルイスには倫理観がない。いち早く事件現場に駆けつけても、人命救助や捜査協力なんて一切しない。必要な映像を収めたらさっさと引き上げ、テレビ局に映像を売りつける。しかし駆け出しのルイスは、他の新人たちと同じように失敗もしている。だがルイスは必ず自分なりに学び、経験を活かし、最後には成功を掴む。ルイスはきっとサイコパスなんだろうなと、映画が始まって5分で思った。そしてその突き抜けた向上心と欠落した倫理観が、ルイスを成功者に押し上げていった。現代の社長やCEOにはサイコパスが多いという記事を読んだことがあるけど、まさにルイスは現代の成功者が持つ資質の全てを持っていた。きっとルイスは幸せになれるだろう。でもルイス以外の人たちは、彼と同じプロセスを踏んでまで成功者になりたいと思うだろうか。

アメリカ社会における刺激の需要増大

ナイトクローラーアメリカ、ロサンゼルスが舞台だ。もちろん事件や事故の過激さは日本の段違いだ。不倫がどうだとか、LINEの内容が流出したとか、野球賭博がどうだとか、そんなものが霞むぐらいのインパクト溢れる事件が頻発している。ネットを開けば、日本でも人が死ぬ映像はいくらでも見られるが、アメリカではそれをテレビで見られる。しかも現場は自分たちの住む街で。だから人々は、刺激を得られる映像を求めてテレビのリモコンを握りチャンネルを巡る。テレビ局は視聴者を画面に惹きつけるために、より刺激の強い映像を放送する。昔の日本でも豊田商事会長刺殺事件浅沼稲次郎暗殺事件など、マスコミの目の前で起きたショッキングな出来事が放送されることはあったが、今の日本ではあまりそういうシーンを目にすることがない。個人の情報発信力は、昔よりはるかに大きくなったのに、それでもなおそういう映像を見る機会がないのは、アメリカが刺激に麻痺していて、日本は刺激に過敏だからなのかもしれない。

最後のルイスの仕事はまさに完璧だった。

物語の中で着実に成功を収めていくルイス。映画の中での彼の最後の仕事は、ナイトクローラーとして、もといルイスという人間として完璧そのものだった。彼の持つ能力は全て出し切り、問題も全て片付き、確実に次のキャリアにステップアップしていった。彼にとっては今までの中で最高の仕事だっただろう。だがそれを見た僕らは、その成功を手放しで喜べるだろうか?彼は結果のためなら、なんだってやる男だ。結果さえ出せば、やり方はなんだっていいのか?結果は輝かしいが、それに至るまでの道を、同じように辿るのは凡人には厳しいことだろう。

まとめ:人生を仕事に賭ければ、成功者になれる?

人生の全てを労働に捧げる全人格労働という言葉がある。ルイスのように貪欲に結果を追い求め、人生を賭けて仕事をしていく人間が、現代では求められている。しかしそこまでして掴んだ幸せは、掴むまでの苦労に見合うものなのか?もし幸せが掴めなかったら、そいつは一体どうなってしまうだろうか?主人公ルイスの輝かしいサクセス・ストーリーとして『ナイトクローラー』を見ることはできなかった。逆にルイスの仕事ぶりが、自分を悩ませて仕方ない。「結果が出れば何をしても構わない」僕もそう思って仕事をしてきたが、それでもどこかに見えないリミッターが働いていたはずだ。もしそのリミッターを超えて仕事をした時、僕は成功するだろうか、それとも滅ぶだろうか。とりあえず、こいつはすごい映画だった。みんなも見ようぜ。

映画「ナイトクローラー」