「うっせえわ」と言えるほどの反骨精神がないので「知らんがな」と呟きながら暮らしている。
誰が呼んだか知らないが我々は無欲な「さとり世代」である。誰かがまとめた誰かの話を聞いて何かを知った気分になり、誰かが撮った何処かの写真を見てそこに行った気分になり、読む文章の最後の言葉はいつも「いかがでしたか?」になっている。
不要不急だステイホームだと言われても、普段通り過ごすだけで人と関わらない暮らしぶりになっていて、ワクチンの接種券が届けば淡々と予約をして、肩の出る服装で会場へ向かっている。副反応に備えてポカリとロキソニンを飲んで眠り、翌朝上がらない腕を見て「こんなもんか」と納得する。
誰かの怒りに共感することもないし、誰かの悲しみに寄り添うこともない。自分と関係のないことはこの世の中に存在しないのと同じであり、取捨選択するほど情報が多いなら最初から何も見聞きしないことを選んでいる。
エアコンの効いた部屋から炎天下の交差点を見下ろすと、日傘をさして小さな扇風機の持った人が見える。そうしていると世間と自分との間にはどうしようもなく深い溝が横たわっているのだとしみじみ実感できる。
どういうわけかエネルギーはすっかり失われてしまった。凪いだ水面に浮かんだ船はどうなってしまうのか。しかし考えたところで「知らんがな」としか思わない。
多分これ夏バテだな。焼肉でも食って寝よう。