TANNYMOTORS

一度人を食らった熊は、その味が忘れられず再び人里に降りてくるという。つまりバイクの日記です。

吉田類お断りの店

 

吉田類という酒を飲むことで名を馳せた男をご存じでしょうか。「酒場詩人」だの「居酒屋探検家」だの呼ばれることもあるこの男は、とにかく飲み屋を巡ることを生業としており、今や「吉田類の酒場放浪記」なる冠番組まで持っている始末であります。彼の主な活動地域は首都圏でありますが、その飲み屋発掘に触発されて今では全国で地域の飲み屋を紹介する多様な書籍やSNSども跳梁跋扈しております。

また「映えぬものに価値はあらず」という現代の消費者にとって、個人店やそこで振る舞われる酒、料理は「映え」という価値を持っており、あるいはそこでしかできない「呑み」という顧客体験の存在に、人は容易く引き寄せられいくようになりました。

かくして承認欲求を満たす正方形の写真とハッシュタグジオタグには七珍万宝の価値があると信じられる時代がやってまいりました。

しかし個人店の店主たちも一枚岩ではありません。新たな顧客を迎えるべく見栄えを整えようとする店もあれば、紹介されているからとずかずかやって来て、写真だけ撮って帰っていくような輩を苦々しく思う店もあるのです。中には新規客が既存の常連客を遠ざける原因にもなるからと、どれだけ人気店であろうとも取材を受けないようなところもございます。

私がおります京都はどこもかしこも観光地であるため、とにかく「映え」による影響が最も大きい場所の一つである。写真を撮るだけでなく建物や挙句舞妓にまで手を出そうとする観光客に辟易とした地元住民が撮影禁止の立て看板を出したり罰金を求めたりと、日夜いたちごっこが繰り広げられている始末です。

飲み屋街の動向も前述と同じように、とにかく「京都」を前面に出してメニューにも店名にも「京」と付ける露骨な店もあれば、観光客など来て“いらんわ"と息をひそめて身内で席を埋める店もございます。「一見さんお断り」なる文化もかつてはありましたが、相手が知らなければその文化は存在していないのと同じでありますので、何も知らずに殺到する一見さんをあしらうのに疲れた店は、自然とその姿を隠すようになっていきました。

提灯や看板を隠した店。店内が見えないよう窓をふさいだ店。VRの世界に逃げた店。井戸の底でじっと息をひそめている店。新しい惑星系への移転を求めた店。高次元存在に昇華した店。多くの店が生き延びるため様々な活路を求め、今やそのほとんどが隠れたのか消えたのかも分からなくなってしまいました。

身を隠しつつもお客は迎えねばならない、そう気づいた店主たちは二律背反の悩みに頭を抱えることになりました。しかし結局はどこかで妥協しなければならないことも彼らは分かっておりました。そうやって生まれ店のスタンスの一つが「吉田類お断りの店」であります。「吉田類の酒場放浪記を見てやってくるような客が一番めんどくせえ」ということに彼らは気が付いたのです。ならばその大元である「吉田類」さえ締め出せばよい。災厄の根幹から逃れることができればこれからも店は平和にやっていける、彼らはやがてそう信じるようになりました。

もしあなたが京都を訪れた観光客で、宿の近くで飲み屋を探すなら決してに関連するあらゆる媒体を参考にしてはいけません。そこで紹介された店の多くはもう存在しないか、存在していたとしても██████だからです。自分のセンスを頼りに、その町とうまく調和している店に飛び込んだほうが、きっと美味しい思いができることでしょう。ただもしあなたがその店の料理や酒を写真に収めて、SNSに投稿しようとするときはどうか気を付けてください。それが██████に察知される恐れがあると店の誰が判断した瞬間、あなたは██████、あるいは██████によって京都での旅を終えることになるからです。どうか良い旅と良い酒に恵まれますように。

 

酒場詩人の美学 (単行本)

酒場詩人の美学 (単行本)

  • 作者:吉田 類
  • 発売日: 2020/08/20
  • メディア: 単行本