TANNYMOTORS

一度人を食らった熊は、その味が忘れられず再び人里に降りてくるという。つまりバイクの日記です。

涼宮ハルヒの新作だぞ、ゼロ年代のオタクども、目を覚ませ、思い出せ

ゼロ年代のオタクはみんな涼宮ハルヒに没頭していた。クソでかい主語と一方的な決めつけだけど、思い出補正も入っているだろうけれど、もう没頭していた日々から10年近く経てばこれぐらい言い切ってしまっても文句は言われまい。

アニメ版「涼宮ハルヒの憂鬱」が放送されてから僕らのオタク生活は瞬く間に「ハルヒ」に席巻された。友達とハレ晴レユカイを踊った。God Knowsでギターに憧れた。ちゅるやさんにょろーんした。毎日ニコ動でMADを漁った。エリア外だったアニメの放送をどうしてもリアルタイムで見たくて、映らないはずのアナログ放送のチャンネルを無理やりKBS京都に合わせて、半分砂嵐になったハルヒを見ていた。

ゼロ年代の、そして僕の高校時代のオタクカルチャーのほとんどが涼宮ハルヒだった。

そしてラノベの続きを心待ちにして、しかしいつの間にか期待が諦めに変わって、没頭していた日々はついに思い出の一つになっていた。思い出は変わらない。あの日々は楽しかったし、新作はきっともう出ないだろう。期待してもしょうがない。そう思っていた。そう思っていたのに。

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kimirano.jp

ああ!あああ!涼宮ハルヒだ!長門有希だ!みくる先輩だ!鶴屋さんだ!やれやれ!何年かかったと思ってるんだ!俺はもう30歳だぞ!ラノベは何年も前から実家のダンボールの中だ!高校時代の!大学時代の思い出と一緒にすべて実家の押し入れに入れてきたのに!お前は!今になったまた現れるのか!また夢を見させてくれるのか!?

嬉しさ?懐かしさ?いやそういう感覚じゃない。もっと大きな感情が自分の中にある。「涼宮ハルヒが読みたい」ただそれだけの願いが、叶うことはないだろうと思っていた幻が、10年以上経って思い出の氷の中からいきなり現れた。受け止めきれない現実は、いつの間にか涙になっていた。待つことさえ忘れていたのに、それでも涼宮ハルヒが帰ってくる。

当然10年の月日は長い。大抵の人がそうであるように、僕も色々と変わってしまった。しかし涼宮ハルヒのいる日々はきっと何一つ変わっていないんだろう。そこにはちょっとした恐ろしささえある。読みたいような、読みたくないような。 しかし、きっと僕は読むだろう。そして飛び出してきた思い出と一緒に溺れることになるだろう。そこだけは高校生だろうと30歳だろうと、変わることのない自分らしさの一つであるからだ。涼宮ハルヒの思い出と一緒に、そんな自分らしさの一片を思い出していた。