TANNYMOTORS

一度人を食らった熊は、その味が忘れられず再び人里に降りてくるという。つまりバイクの日記です。

ヨーロッパ企画『九十九龍城』やっぱり金丸慎太郎は主役、客演だけど

ヨーロッパ企画の本公演が始まった。コロナでアレな世の中になってからのヨーロッパ企画は走る京福電車の中で配信劇をしたり毎日のようにYoutube配信をしたりと、存外和気あいあいとしていたように見えていた。もちろんイベントが一切できないような時期で苦労していたところもたくさんあるだろうけれど、企画性の名のもとに手広く活動しているのを知っていたからそれほど心配はしていなかった。映画だって世界中で見られてるし。

とはいえ本公演は2年ぶりである。見る側としてはずいぶん緊張したし、それ以上にワクワクもしていた。そして『九龍城とか上田誠が好きそうな題材だな~』とか『どうせ酒井君はエリートかギークなんだろうな~』とか言いながら栗東に向かった。

しかしネタバレはしたくないので内容については書かない。

舞台の上に建てられた九十九龍城は予想通りギチギチに詰まっていたし、葛西先生の照明は相変わらず綺麗だったし、ヨーロッパ企画のメンバーは今日もそれぞれの役割を果たしていた。そして上田誠の物語は今回も僕らを見事に騙してくれた。それで十分だ。

10年近くヨーロッパ企画を観ていればある程度先の展開が読めることもある。でもそれは「きっとこうしてくれるだろうな」という期待を込めた「読み」だ。だって大抵の場合酒井君は片手に端末を持ってドヤるし、中川君はチンピラみたいな歩き方をするし、金丸慎太郎は主役みたいな立ち回りをするんだもの。そんなある意味「お約束」みたいな状況でも上田誠は予想を上回る物語を書いてくるから恐ろしい。相変わらず四条大宮でウンウン唸りながら台本を書き散らしているんだろうな。

公演後は大して感想を語ることもなく「さすが上田誠だな」とだけ話して家路についた。ちょっとだけ日常が帰ってきたようで嬉しかった。ただ感想が全く書けなくなっていたのに驚いた。元々ろくな感想は書いていなかったけれど、さらに指が錆びついているのがショックだった。面白かったのになあ。あんまりログインしてなかったからなあ。残念だなあ。

今回はそういう物語でした。さすがだね。

『サマーフィルムにのって』演劇的っぽい映画って楽しいね

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imaiさんが「サマーフィルムにのって」を褒めていたので見てきた。下調べを一切せずに映画を見るのはいつだってドキドキする。しかも高校青春物だ。下手すると心に傷を負う恐れだってある。でもimaiさんが推してるなら見るしかない。

「サマーフィルムにのって」は時代劇オタの女子高生達が友達や未来人を捕まえて映画を撮る話である。

クライマックスで「あー!なるほどー!」と大きな納得をして映画は終わった。そして1週間後にもう1度見て、再度「なるほどー!」と納得しながら家路についた。

何を納得したのか。それは「すごく演劇的な映画だな」と思いながら見ていたら、脚本がバリバリの演劇畑の人だったからだ。なんならキャストにもその劇団のメンバーがいた。演劇畑の役者さんはハキハキ喋るから大変分かりやすい。

では演劇的とは何か。それは「物語の分かりやすさ」ではないか。

例えば映画は観客の見方を誘導することができる。殺陣のシーンなら侍の目や柄を握る手をクローズアップして写したり、逆に全景を写して囲まれている様子を写したりできるし、レンズを変えれば視野を広げたり狭めたりもできる。映像ならこんな風に見せ方の演出ができる。

ところが演劇の場合観客は舞台上のどこを見るのも自由だから、物語を見せるためには明確なセリフや役者の動きが必要になる。睨みを利かせるなら眼だけでなく体全体を動かさなければならないし、その場に立ち尽くすのではなく身振り手振りを交えて喋らなければ観客の注目を集めることができない。

演劇が不便であるようにも見えるけれど、今回のように演劇的な映画になると「物語の分かりやすさ」が際立つし、単純に見ていて楽しい。ぼんやり見ようがしっかり見ようが物語に引き込まれてしまう。そしてラストシーンで見事に切り捨てられて、「うおー!」と唸りながらブログを書くことになる。見ているときは「このカットとかセリフいるんか?」と思う所もあったのに、「演劇として見るなら必要だった...」と最後にまた納得してしまった。逆に純粋な映画として見るときにこの脚本や演出に違和感を感じたりする人もいるんかしら。

1000字弱感想文を書いたけれど、別に解釈しながら見なくてもめちゃくちゃ楽しい映画なのでさっさと見るのだ。わしはブルーハワイ役の祷キララが超好き。あと役名がみんな無茶苦茶なのも最高。

あ!!!!!祷キララって2年前にヨーロッパ企画の本公演で見てる!!!!!!

 

脚本家さんの所属劇団。関西に来たら見に行くぞ。

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「コンテナのスタッキングは5段まで」この説明書に書いてあることをあなたが守るならの話だけれど。

引っ越して一カ月経ったというのにまだ本棚がない。

荷造り用の段ボールに本を入れたままにするのも癪なので10個ほどのバックルコンテナに詰め込んで壁際に積み上げてみたが、なんだか部屋が倉庫か工場のようになってしまった。

しかも本以外にも工具やバイク用品も箱に詰め込んでしまったので、どれに何を入れてたのかさっぱり分からなくなってしまった。しょうがないのでテプラや養生テープで「ドリル」だの「塗料」だの「同人誌」だの書いたラベルを作って貼ってみたが、そのせいでさらに部屋の倉庫感が増し、「5S」活動を頑張っている現場みたいになった。

そもそもこれは本棚を買えば解決する話なのだが、いい感じの本棚というのはそう簡単に見つかるものではない。

かろうじて組み立て式の棚1つを仮の本棚として稼働させているが、その棚もキッチンに置いているので「映像研には手を出すな!」の手前にイナバのタイカレー缶が積み上げられているし、「三体」の横には箱入りの養命酒が立てられている。

棚の最上段には文庫本が並んでいるので「キッチンでパスタを茹でながらフィッツジェラルドを読む」という村上春樹的ムーブはできるかもしれないけれど、あいにく――もしくは幸いと言うべきかもしれないが――僕の家にはパスタの茹で上がりを妨げるような電話は置かれてないし、シャワーを浴びながらわざわざ大声で話しかけてくるような人もいないから、今のままでは説得力に欠けた演技をして審査員を――彼らは一体何を審査するというのだ?―—落胆させてしまうことだろう。

蔵書はともかく増えた工具類や塗料の類は箱ごとベランダに保管すれば良いので多少は部屋も片付いた。

9月以降は気圧が下がり脳は圧迫され生活もハードモードになっていくので今のうちに身の回りは片づけておくことにする。そして週に一度はサウナをかまして体をリセットするのだ。

村上春樹的にはサウナってどうなんですかね。湯船に入る描写すらあんまりなかったような気がする。

昭和96年夏の敗戦

「うっせえわ」と言えるほどの反骨精神がないので「知らんがな」と呟きながら暮らしている。

誰が呼んだか知らないが我々は無欲な「さとり世代」である。誰かがまとめた誰かの話を聞いて何かを知った気分になり、誰かが撮った何処かの写真を見てそこに行った気分になり、読む文章の最後の言葉はいつも「いかがでしたか?」になっている。

不要不急だステイホームだと言われても、普段通り過ごすだけで人と関わらない暮らしぶりになっていて、ワクチンの接種券が届けば淡々と予約をして、肩の出る服装で会場へ向かっている。副反応に備えてポカリとロキソニンを飲んで眠り、翌朝上がらない腕を見て「こんなもんか」と納得する。

誰かの怒りに共感することもないし、誰かの悲しみに寄り添うこともない。自分と関係のないことはこの世の中に存在しないのと同じであり、取捨選択するほど情報が多いなら最初から何も見聞きしないことを選んでいる。

エアコンの効いた部屋から炎天下の交差点を見下ろすと、日傘をさして小さな扇風機の持った人が見える。そうしていると世間と自分との間にはどうしようもなく深い溝が横たわっているのだとしみじみ実感できる。

どういうわけかエネルギーはすっかり失われてしまった。凪いだ水面に浮かんだ船はどうなってしまうのか。しかし考えたところで「知らんがな」としか思わない。

多分これ夏バテだな。焼肉でも食って寝よう。

舞台『夜は短し歩けよ乙女』上田誠はミュージカルもできるし久保史緒里は見たことあるぞ

夜は短し歩けよ乙女』が上田誠の元で舞台化した。

2006年に出版されたこの作品が僕の人生に与えた影響は計り知れない。本が好きになり、大阪の大学に進学し、同じ輩に出会い、ヨーロッパ企画にハマり、それからずっと七転八倒し続けることになったのは、そもそも森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』に出会ったからだった。よくもまあ15年も推し続けたものである。

舞台化のニュースを見て「ああ、ついにか」という気持ちでチケットを取った。大阪のクールジャパンパーク大阪WWホールとかいうクールな名前の劇場の千穐楽だ。シアターBRAVAが無くなって久しいけれどまさか再び大阪城公園に来られるとは。

ヨーロッパ企画主義者なのでチケットはヨロ通付のものにして、開演までの間はパンフレットと一緒にじっくり読んで過ごした。久しぶりに読んだヨロ通はいつも通り文字が多くて安心した。

ヨーロッパ企画ではない上田誠の舞台の新鮮さ

上田誠の舞台とは言え今回はヨーロッパ企画公演ではない。先輩役は歌舞伎の中村壱太郎、乙女役は乃木坂の久保史緒里、李白役は竹中直人。やたら強そうな面子をそろえたのはフジテレビだからだろう。もちろんサイドも手堅く固めてあり、そしてヨーロッパ企画界隈のメンバーはキャスト全体の3分の1くらいを占めていた。

我らの団長こと池浦さだ夢、セリフの長回しがバキバキに決まっていた藤谷理子、やたら機敏に動く金丸慎太郎が起用されていたのも嬉しかった。団長が出ると聞いて最初は「絶対パンツ総番長じゃん」と思ったがまさかのMCなのは驚いた。きっとヒップホッパーとして求められるところが大きかったのだと舞台を見てから納得した。それに韋駄天こたつの素早さにに団長の膝は耐えられないだろう。

 ミュージカル並に歌いまくる劇なんて作れたのか

作中でみんなが歌いまくるのには驚いた。上田誠Twitterで劇中歌の歌詞やセリフを公開していたけれどよくもまあここまで作れたものである。ヨーロッパ企画の舞台はエチュードからにじみ出たエッセンスが脚本になっていくといつか聞いたことがあるけれど、脚本ベースで書くとこんなものが生まれてくるのか。どんな作り方をしているのか大いに気になる。

ヨーロッパ企画の”劇を回す”という役割

劇の進行という点で土佐さんや石田さんなどヨーロッパ企画メンバーの働きはよく目立っていた。「このセリフきっかけだろうなー」というポイントもなんとなく伝わってくるし、見慣れた光景でなんだかほっとする。しばらく舞台を見られなかったのもありなんだか感傷的な気分にさえなった。

酒井君の未来ガジェット風の発明や航時法は出てこなかったけれど舞台は”物理的に”回っていたし、映像を使った演出や美術は僕にとっては目新しくて新鮮だった。この辺にリソースを割くことができるのはさすがテレビ資本の舞台である。なんなら実写映画化までするんじゃないかとさえ思った。そしていつか金曜ロードショーで流れるんだ。

竹中直人竹中直人感と久保史緒里の見覚え

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今作で一番注目していた竹中直人は、実によく動き、必要十分な情報量の芝居をする人だった。しっかり注目を集めているのに悪目立ちはしないし、中途半端な存在感で場の流れを散らすこともしないし、終始「しっかりしてるなあ」と思って見ていた。直前に劇パト2を見て「あー、今度この人見るのか―」と余計なイメージを作っていたのに実にスマートでかっこよかった。前述の土佐さんや石田さんが要所要所で物語の進行を引っ張るのに比べると、竹中直人は流れるようなお芝居をしていた。そして革ジャンの良く似合う人だった。

久保史緒里は前情報が「乃木坂の人」しかなく、「どんな人なんだろうなあ」と思いながら開演を待っていた。始まってみるとキラキラしてるしハキハキ喋るしテキパキ動くし「うわあちゃんとしてる」というバカみたいな感想を抱くことになった。「ちゃんとしてる」は僕にとっての最上級の誉め言葉なので言い換えれば絶賛である。かつて上坂すみれAC部のイベントで見た時も「しっかりしてるなあ!」と感心したものである。

終演後、帰りの電車で「乙女役のあの子、どっかで見たことある気がするぞ」と思って自宅の本棚を漁ると、唯一持っているグラビア雑誌の表紙が久保史緒里だった。1年前に表紙買いしてほったらかしだったけれど、ここから1年で乙女のあのキラキラした姿になるなんて恐ろしい娘!である。それに己の先見の明も恐ろしい。いったい何を見通していたのやら。

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今回の座席は前から3列目ぐらいだったのだが、最前列にいた久保史緒里ファンっぽい人が双眼鏡でずっと久保史緒里を追っていて、あれはなかなか見上げた根性だった。最前列が取れてその上双眼鏡まで使うとは実に贅沢な楽しみ方である。あとカーテンコールの時に拍手でなく手を振るってのがアイドル文化圏っぽくて新鮮だった。僕もぐったりした団長を拝んでいたのでいろんな楽しみ方があるものだ。

やっぱり演者が見えるってのは素晴らしい。久しぶりに見たお芝居が「夜は短し歩けよ乙女」で本当に良かった。上田誠の演出だし、ヨーロッパ企画界隈のメンバーも見られたし、会場であの楽しさをみんなで共有するというのはやはり貴重な体験である。このライブ感は何物にも代えられない唯一無二のものだ。そりゃあ手も振るし拝みもするよ。さてブルーレイを予約しよう。

www.yoruhamijikashi.jp

イケアの家具を再利用するのはやっぱり不可能だったよ

7月末の引っ越しに向けた準備を少しずつ進めている。今回の移動距離は220メートルだからおそらく過去最短だ。引っ越しというイベントは割と好きな方だったが、そろそろ面倒くさいと感じるようになってきたので初めて引越し業者を使うことにした。自分で人とトラックと飯の手配をしなくて済むのは楽でいい。しかもダンボールまで無料でくれるというのだからありがたい。ダンボールといえど買えばそれなりの値段がするし、わざわざスーパーなどに貰いに行くのも骨が折れる。

前に住んでいた通称「独居房」から今の家に引っ越したときは住環境も大幅に改善して気分も良かったが、次の家は今と大して変わらない条件だからそのせいで引っ越しがお億劫に思えるのかもしれない。

今回の引っ越し理由は「バイクを置きたいから」だったけれど、カブは親父の退職祝いにあげることにしてしまった。そしてその勢いで新車の中型バイクを契約してしまった。自分でも何をやっているのか良く分からない。30万で買ったカブを親父にあげて、代わりに100万の新車を買って、そのバイクを置くためにに引っ越すのだ。どうかしている。

不動産屋のアンケートに書いてあった引っ越し理由の欄には「気分転換」と書いた。カブで1週間九州を巡る計画も立てている。夏休みはお盆期間ではなく7月に取ろうとしている。自分でも何がやりたいのか分からない。

これを青春と呼んでいいのなら、若者のエネルギーは核融合より強烈だろう。

おじさんの趣味を何でも女子高生アニメ化しやがって

どんなアクティビティも女子高生が主人公のアニメにしてしまえばコンテンツになってしまうのだから、女子高生はつくづく万能な属性である。

キャンプをすれば「ゆるキャン」、登山をすれば「ヤマノススメ」、南極に行けば「よりもい」、そして今期はスーパーカブに乗っている女子高生のアニメまで出てきた。身の回りの物事がどんどんアニメ化されていく。

いまのところ僕は「ゆるキャン」のしまりんとスーパーカブの小熊をそれぞれ襲名している状態にある。しまりんとは使ってるテントが同じシリーズだし、小熊とは同じバイクに乗っている。女子高生という点を除けば実質的に同一の存在と言っても差し支えない。

でも別に誰かに憧れて何かをやっているというわけではなく、ただ自分のライフワークの一部がコンテンツ化されて、そこのキャラクターに自分が引っ張られているだけなのでいちいち気にしてもしょうがない。それでもどこかで「にわか」だの言われやしないかと考えてしまうのも事実なので、アラサーのくせに紙風船並みのメンタルである。

その点ウマ娘は安定して楽しめる。基本的に擬人化した馬が一生懸命走ったり、たくさんご飯を食べたりしているだけなので、見ていても素直に応援できる。友達が「ようはガルパンみたいなもんでしょ?」と乱暴な総括をしていたがあながち間違いではない。

ウマ娘はみんなかけっこが上手い。一方でオタクはかけっこが苦手だ。だからオタクがウマ娘に憧れるのは当然のことだ。

ガルパンはみんなのチームプレーで勝ち進んでいく。一方でオタクはチームプレーが苦手だ。だからオタクがガルパンに憧れるのも当然のことだ。

だからウマ娘ガルパンも似たようなものなのだろう。馬も昔は戦車やってたしな。