TANNYMOTORS

一度人を食らった熊は、その味が忘れられず再び人里に降りてくるという。つまりバイクの日記です。

映画『花束みたいな恋をした』天竺鼠のライブに行けなかったことを誇るな、恥じろ

「てめえふざけんじゃねえぞ」っていう気持ちで見る恋愛映画

『花束みたいな恋をした』を見た。サブカル好きな有村架純菅田将暉が出会ってイチャイチャしてすれ違って別れるまでを描いた恋愛映画だったが、「見た」と言うより終始スクリーンを睨みつける感じだった。「なんか気に入らねえ気持ち悪さだなー」と思いながら見始めて、中盤以降は「そりゃそうだてめえふざけんじゃねえぞ」と怒りながら過ごしていた。

テレビ屋さんはコンテンツづくりのプロフェッショナルなので、『サブカルカップル(ただし大都市圏の文化的インフラ周辺にのみ存在する)の恋愛模様を描いてみたらこんなにエモい感じなるんですよ』という映画を、「薄く広く流行りそうな感じ」かつ「文化庁から助成金まで貰って採算性も確保しつつ」作ることができるんだなと思った。

おまけに10年代後半の文芸やら音楽やらいわゆるサブカルを随所にぶっこんでくるせいで「こいつらの恋愛アイテムはお前らもご存知のものですよね~懐かしいですよね~」という意図が滲みて出てきて劇場内はずぶ濡れであった。軽率にヴェイパーウェイヴとか小川洋子とか入れてくるんじゃねえよ。こいつらを映画の要素や属性として扱わないでくれ、こいつらはアイテムじゃねえんだ。今までも今でも僕は自分の一部として愛してるんだよ。

一度鼻についた違和感を拭おうとするたびに鼻の頭が赤く腫れて、最後にはもげるかと思った。そういう映画だった。

映画のあらすじ

大学時代に出会って趣味が合うから仲良しになって、授業サボってセックスしまくる日々楽しんで、片方は就活して片方は夢を追って、でもしばらくしたらそれぞれが逆の立場になって、それでお互いの生き方が変わったからすれ違うようになって、どうしようもないから結局別れましたよ。まあその後一瞬再会したんですけどね。へへっ。

ストレスへの対処さえ間違えなけりゃ別れることはなかったんですよ

恋愛したまま幸せになりたかったけど、結局そうなれなかった二人の物語がこの映画である。菅田将暉が就職して仕事に飲み込まれていく一方で有村架純は自分のやりたいことで生きていきたいと思い始め、それがきっかけで亀裂が生まれることになる。

そうなる前にお互いのストレスチェックやらキャリアプラン作りを一緒にやっていれば破局には至らんやろ、というのが一番の感想である。サブカルが懐かしいとかそのへんはどうでも良い。実在のコンテンツを登場させてリアリティを出そうとしてるならこっちはメンタルヘルスの面からリアリティを語るまでである。

「取引先に『ツバ吐かれて死ね』って怒鳴られても平気だよ!だって仕事だから!」とは菅田将暉の弁である。それで有村架純と喧嘩するわけだけど、はたから見てたらそんな状態で仕事して潰れるのは目に見えている。「そんな人『ピクニック』を読んでもなんにも思わないんだよ!」と有村架純は返すが、学生時代の就活のときにかけられた言葉を社会人になってからそのまま返しても伝わり方は違うって分かるだろ。もし『今このセリフ出してくるところエモいやろ?』なんて考えた奴がいるならそいつは時空の隙間に吸い込まれてしまえ。

一緒に暮らしていて相手の様子がおかしいと思うなら病院に連れて行け。健康診断を受けろ。メンタルヘルスも気にかけろ。一生添い遂げるなら将来の話をしろ『現状維持が夢でーす』なんて公言するなら方法も話せ、夢だけ語るな。

結局菅田将暉も自分の世界でグズグズして腐って潰れたし、その間に有村架純は職場の同僚と男漁りに行ったりオダギリジョーと浮気してんだよ。おいよく見ればカスカップルやないか。

そんなお花畑脳だから天竺鼠のライブに行きそこねたり、行けなかった同士で出会ったりするんだよ。『これが二人が出会うチケットですね』なんて惚気けてんじゃねえ。まずお前たちの判断ミスで天竺鼠のライブに行けず空席を作ってしまったことを恥じろ。そんな軽い気持ちでライブのチケットを取るのか、そして簡単に諦めるのかと最初はわけが分からなかった。首都圏のように文化資本が潤沢なところならそんな愚行もよくあることなのかもしれないが、ライブや芝居のチケットをスクラップ保存する人間としては、チケットを無駄にする事態にどうして陥るのかまったく理解できなかった。

そうして今夜もライブに行けずにトイレットペーパーを抱えた二人が出会ってセックスするんだろうな。えらい楽しい暮らししてはりますなあ。

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勝ち点が3なら引き分けは何点ですか?ツモ和了だと1点増えるんですか?

決定力に欠けることで困るのはスポーツ選手だけではない。僕も日々の食生活で決定力を欠いているのでなかなか勝ち点3の飯にありつくことができない。

休日だった今日は昼前まで寝て、バイクの手入れを済ませ遅めの昼食を取ろうとしていた。最初は「今日の昼飯は天一だな」と心に決めたが道中で「なんか違うな」と思い進路を変え、「たまにはマクドナルドも良かろう」と四条大宮に向かっても店の前でたむろするUber配達員にうんざりしてそのまま通り過ぎ、行くあてもないまま原付きでぶらぶらした挙げ句西院でたこ焼きを買って自宅で食べる事になってしまった。

あの店のたこ焼きは基本的にふにゃふにゃしているけれどソースやマヨネーズを思いっきりかけてくれるので食べてみればそれなりに満足感はある。ただ選択肢になかったものを食べてもいまいち盛り上がりに欠ける。食べながら「なんでたこ焼き食べてんだろうな」とさえ思ってしまう。血眼になってたこ焼き食うやつがいてもそれはそれで怖いけど。

欲がないと何をしても楽しくない。普段の食事はカロリーメイトか無作為に選んだ菓子パンだし、ヤンジャンの表紙に誰が載っていても気にならないし、寝たきりだったときはいくら寝ても休んだ気にならなかった。煽情的なものごとが僕の身の回りにないだけなのか、それとも僕の感受性がすり減ってしまったのか。モナリザの手で勃起する吉良吉影のような心を持ちたいものである。

ここはひとつウマ娘で一発逆転を狙うしかない。みんな一生懸命走ってるし応援したくなるに違いない。どうか煽って貰えますように。そして勝ち点につないでいこう。解説のセルジオ越後さんこのプレイどうご覧になりますか?

鳥貴族のカウンターにはコンセントが付いてるから実質ドトールと同じ

近所の鳥貴族によく一人で行っている。黙食がどうこう言われるよりも以前から、一人で酒を飲みたいときに行く店はもっぱら鳥貴族である。個人店に行くとついつい店の人や他のお客さんと喋ってしまうし、黙っていてもお互い意識してしまうので一人で飲むにはチェーン店がちょうどいい。喋ったことないのに意識しちゃって記憶に残ってる同級生っているよね。中学高校の記憶なんてないけど。

ただ僕が行く鳥貴族の焼き鳥は基本的に全部焦げている。飲み友達がそこに行ったときにはソーセージさえ焦げていたらしい。大学生のバーベキューでも焦がさないような食材をどうやったら焦がすまで焼けるのだろう。そういう訳でその鳥貴族で飲む場合は基本的に焼き以外の串物かサイドメニューしか頼まないことにしている。

昨日、ほんの気の迷いからぼんじりとねぎま(店では貴族焼と呼ぶ、革命か?)を頼んでしまった。酒による判断力の低下と、土日なら焼き場も慣れたスタッフが入っているかもしれないという淡い期待がそうさせてしまったのだろう。

ぼんじりは揚げてるから大きな問題はなかった。しかしねぎまの方はやはりカッスカスに焦げていた。出されたものは残さず食べる主義なので一応食べてみたが、すぐに「全部食べたら具合悪くなるぞ」と直感が知らせてきた。そして自分の浅はかさと胃もたれに辟易としながら「貴族様ごめんなさい」と念じて串を置いた。やはり庶民は貴族に勝てやしないんだ。

しばらくすると店員さんが空いたグラスと皿を下げに来た。「ここのお皿たちは下げていいですよ」という風に置いた食器たちの中に手つかずの焼き鳥があるのはどう見ても怪しかったようで「こちらどうかしましたか?」と聞かれてしまった。酒でぼんやりしていたせいで「これ...焦げてて…ごめんなさい…」としか返事ができなかった。小学生が給食を残すときの言い訳みたいだった。さすがに泣いたりはしなかったが、なんだか猛烈に心細くなってしまった。一人で飲みに来てるくせに心細くなるんじゃねえ。

さすがに「食うまで帰るな」と叱られるようなことはなかった。むしろすぐに謝られて「作り直しましょうか?」とまで言わせてしまった。年下の店員さんにそんなこと言わせたのが恥ずかしくて、こちらも謝りながら遠慮したが「また焦げたの出すんじゃねえの?」と少しだけ期待してしまった。己の性根の歪みっぷりがこんなところで現れるとは。

帰り際に社員っぽい人からも「焦げてたようで...すみませんでした!」と謝られた。あの定員さんちゃんと上に報告しててえらい。それに悪いのは地雷原に突っ込んでいった自分の方だ。「お店、忙しいですもんね」と訳の分からないフォローをして店を出た。誰も悪くないのに、謝られると悲しいものだ。

「焼き鳥メインで売ってるのにそれが焦げてるってどういうことだ」と思ったのは、その晩ベッドに入ってからだった。ハイボールで炭化した鶏肉はハイボールでも誤魔化しきれんのだぞ。でもきっとまた行くだろう。なんたって鳥貴族にはコンセントとwifiがあるからな。

バイクの価値を積載量で決めるような野暮な真似をしちゃいけない

普通二輪の免許を取り、早速レンタルバイクを借りていつもの山道を走りに行った。借りたのはホンダのVTR250。高校生の時に猛烈に憧れて、それから10年以上経ってようやく乗ることができた。

250ccのバイクだから400ccの教習車より小さく感じるのは当たり前だけど、足もベタベタにつくし少し窮屈な気さえしてくる。でもそんなことはどうでもいい。赤色のフレームとすっきりした車体、速度計とタコメーターだけのシンプルなハンドル周り。ハンドルを回せばグオーンと音を立ててぐいぐい前に進む力強さ。いつものスーパーカブにはない「バイク」っぽさは震えるほど楽しい。免許を取って良かった。最初に憧れのバイクに乗れて良かった。

京都市内から1時間ほど走り美山の道の駅で休憩を取った。京都のバイク乗りにとってこの道は定番ルートで、北へ走れば日本海側に出られるし、西の兵庫方面にも迎えるし、山道をグルグル走ってワインディングを楽しむこともできる。道の駅としての機能はシンプルなので、とりあえず美山牛乳とソフトクリームを食べるぐらいしかやることはない。

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カブでもよく来る場所だけれど、「バイク」で走るとここまで楽しいとは思いもしなかった。ここで駄弁ってるライダーはいつもこんな楽しい思いをしていたのか。「おい黙ってるなんてひどいじゃないか」と一方的に恨みながらソフトクリームを食べた。

そして食べながら気が付いたが、このバイクには燃料計がないのでガソリンの残量が分からない。とりあえずタンクの中を覗いてみたり車体を揺らしてみたりして残量を確かめる。どうやらタンクの容量はカブの倍で、燃費はカブの半分らしいので、普段通りの給油ペースで良いのだろう。ガソリンが10リットルも入るなんてすげえ。

それから福井の小浜に抜け、港で寿司を食べ、お土産を買ってまた美山に戻ってきた。行きはソフトクリームを食べたので、帰りは牛乳を飲みながらバイクを眺めた。他のバイクや借りたVTRを眺めながら「そりゃあこれだけ楽しかったら飛ばしすぎて死ぬ奴もいるよな」と勝手に納得して、ゆっくり京都市内に戻ってバイクを店に返した。店に預けていたカブで自宅に向かいながら「やっぱり中型は楽しいな」と思い出に浸る一方で「毎日乗るならやっぱりカブだな」と思うようになっていた。都合のいいやつめ。

2台目のバイクを買っても置く場所がないし、しばらくはレンタルでとっかえひっかえ乗ってみるつもりだけれど、どうやら年間8万円ぐらいで24回レンタルできるサブスクみたいなサービスもあるらしい。なんだそりゃ。都合のいいサービスめ。

突っ張り棒にライト吊るしてますからそれ使ってください

トイレの電球が切れたまま1週間が経った。この手の消耗品はたいてい予備をシンクの下にストックしていたはずなのに、トイレだけ電球のサイズがランプやスタンドライトと違うため予備球もなく、しばらくの間真っ暗なトイレに懐中電灯を持って向かうことになった。

おまけに電球を買うよりも前に宅飲みをすることになり、このときはトイレの天井に懐中電灯を吊るして代用することになった。大泉洋はジャングルでカメラのライトに照らされながら用を足すことになったが、それと同じようなことが我が家でも起こってしまった。もしかするとここは京都であり、またブンブン・ブラウでもあるのかもしれない。

そしてつい先程トイレに新しい電球がやってきた。トイレはこんなに明るい空間だったのかとつい感動してしまった。数百円の電球でも生活はぐっと豊かになる。ありがとう電気とか電球を作った人。

電球と同じタイミングでキーボードも買い替えたが、これもキーが光っている。ゲーミングキーボードが欲しかったわけではなく、テンキーがなくてコンパクトでスペースバーの大きなキーボードを探していたらゲーミングキーボード枠にちょうど良いのがあったのでつい買ってしまった。

イルミネーションがキーボード上を走り回る設定もあったけれど、手元が煩いのでライトは消して使っている。キーがカチャカチャ鳴るタイプのキーボードにしたので文字を打つのは楽しい。ツイッターに駄文を垂れ流している場合ではないなと妙な危機感を覚えた。このままテンションを上げてキーを叩き潰す勢いで文章を書いたり、それの元になる読書タイムを取ったりしなければ。電球も変えたし何ならトイレで読書もできる。トイレに本を持ち込むなんて絶対したくないけども。

 

バイク川崎バイクがバイク芸人じゃなくて文芸芸人になるなんて

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小型二輪の免許を取っておよそ2年が経ち、ついに普通二輪の免許を取ることにした。

そもそも110ccのスーパーカブに乗るために免許を取ったものの、教習所に通っている時点で「中免も欲しいなあ」などと考えていたので今更感さえある。

小型二輪(AT)から普通二輪(MT)を取る場合は限定解除という扱いになる。教習はたった8コマ。入所式と卒業検定を入れても5回しか教習所に通わなかった。ATとMTの大きな違いはクラッチとギアチェンジだけれど、チェンジペダルの付いているカブに乗っているからなんとなく理屈は理解できた。それにyoutubeのバイク動画もたくさん見ていたのでほとんど戸惑わずに済んだ。

大学時代に自動車の免許合宿に参加していたときはイニシャルDで勉強しようとしていたけれど、そのせいで卒業検定に落ちたのでやはり適切な教材で勉強することが大切なのだ。今はバイク系youtuberどころか、教習所や指導員がyoutuberをやっている時代だ。通っていた教習所で撮影しているyoutuberさえいたので何でも動画になるのだなと感心してしまった。

中型バイクに乗れるようになったと言ってもカブから乗り換えるつもりはないので、しばらくはレンタルバイクで遊ぼうと思う。カブだってブンブン回せるからな。高速道路は走れないけれど燃費と積載量はどんなバイクにも負けてないのだ。

特攻の拓を教材に選ばなくて本当に良かった。

ネコもコロナにかかるって動物園で聞きました

月に何度か、一人で勤務をすることがある。これは別にテレワークなんて進歩的なものの恩恵ではなく、単純に人手が少ないシフト制の職場だからだ。今日はボスが急にシフトを変えたので、出勤してから一人勤務だと知った。

日が暮れて気温が下がると建物が冷えて「ピシ」「ピシ」と建材が縮む音が聞こえてくる。一人で事務所にいると普段よりもその音がよく聞こえるので、「そろそろ帰る時間だよ」というお知らせのようなっている。下校のチャイムみたいな感じ。古い建物だからこんな音がするのかしら。

仕事が終わったら急いで飲み屋に向かう。推しの飲み屋に貢ぐためだ。「夜8時に店を閉めるぐらいなら最初から開けねえよ」というところもあるし、「協力金じゃ店が持たねえよ」と開けているところもある。僕が行くところの一軒は「しばらくの間は顔見知りだけで営業します」という張り紙がしてある。一応店先で「僕のこと知ってますか?」と尋ねると、「知ってるよ」と言ってもらえた。年単位で通えば顔見知りにはなれるらしい。

しかしそんなセキュリティを突破して席に着いても、みんなずいぶん静かに酒を飲んでいる。声をひそめるようなことまではしないまでも、以前のようにガヤガヤと知らない人同士でおしゃべりするようなことはない。井之頭五郎のように静かに食べて脳内で「白飯があればなあ」などと考えたりしているのだろう。冷奴に乗った三升漬がべらぼうに辛くて僕も無言でビールを飲んだ。そして8時前に全員で店を出た。客同士で何かを話したわけじゃないけれど、みんなこの店が好きなんだろう。

そうして家に帰っても、別に心が満たされるわけでなし、かといって家で飲む気にもならず、電気ヒーターで手を温めながら、いろんなことにうんざりしている。もしかしたら思春期なのかもしれない。そうだ青春小説を読もう。でも最寄りの本屋は潰れてしまったんだった。ああより一層うんざりしてきたぞ。

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